「歴史の澱」(福岡伸一)

承前*1

先ず、


spirit7878*2 2014/12/30 07:55
野口英世については僕も子供の頃伝記でよく読んでいるのですがね。
でも彼の研究に捏造説があるなんて知りませんでした。

日本人の英雄観に『判官贔屓』というのがありますよね。
つまり世俗的に成功した人ではなく、世俗的に何処か不運な影を持っている人が人気が高いと。
源義経と同じく、野口英世もそれで偉人の一人に数えられているような気がします。

まあ野口英世の論文が明らかに捏造と公に知れ渡ったら、千円札に別の人を載せるのを考える、ということでいいのではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141228/1419777242#c1419893717

この方はお幾つくらいの方なのだろうか。私も小学校3年語頃に学級文庫で、野口英世の伝記を読みましたけど。1969年。ほかに、その頃読んだ記憶がある伝記は、シュヴァイツァーリンカーン豊田佐吉。小学校時代に明治天皇毛沢東の伝記を読んだという記憶があるのだが、それは多分高学年になってから。amazon.co.jpを検索してみると、私が子ども時代に読んだのと同様のノリの野口英世伝が今でも出版され続けているみたいだ。そして、かつての私のように、小学生たちが読み続ける。
さて、野口英世像と「判官贔屓」は関係ないですよ。彼は端的に「世俗的に成功した人」。人気者としての野口英世というのは、豊臣秀吉田中角栄橋下徹と同様に〈成り上がり者の系譜〉に属しているのでは?
また、多くの人にとって、日常的に野口英世を意識することはないだろう。あくまでも、小学校時代の思い出の中に隠れてしまっている。忘れられた存在だった野口英世が(私の前に)甦ったのは、高校になってから。1976年に野口英世生誕100周年を記念して、テレビマンユニオンが制作してTBSが放映した『野口英世伝 光は東方より』というドラマ*3。これは〈偉人〉野口英世を脱神話化するものだった。野口を演じたのは、柴俊夫(野口清作時代)と仲代達矢。このドラマで、助平で金に汚い野口英世というキャラクターを知ったのだった*4。そして、その後、福島県猪苗代町の「野口英世記念館」*5を見学した。そのとき思ったのは、野口英世というのは郷土の英雄であり、地場産業(観光資源)だということだ。
さて、古寺多見氏がちょっと前に「ワトソンの悪行は、数年前に売れた福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』で紹介されているらしい。なお同書では前述の野口英世もこき下ろされているらしい」と書いている*6。「ワトソンの悪行」については、『生物と無生物のあいだ』の第6章「ダークサイド・オブ・DNA」、第7章「チャンスは、準備された心に降り立つ」をご参照あれ。野口英世については、「こき下ろされている」のかな。ちょっと引用;

パスツールやコッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうならなかった。数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとしてまったく顧みられていない。彼の論文は、暗い図書館の黴臭い書庫のどこか一隅に、歴史の澱と化して沈み、ほこりのかぶる胸像とともに完全に忘れ去られたものとなった。
野口の研究は単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データを捏造したものなのか、はたまた自己欺瞞によって何が本当なのか見極められなくなった果てのものなのか、それは今となっては確かめるすべがない。けれども彼が、どこの馬の骨とも知れぬ自分を拾ってくれた畏敬すべき師フレクスナーの恩義と期待に対し、過剰に反応するとともに、自分を冷遇した日本のアカデミズムを見返してやりたいという過大な気負いに常にさいなまれていたことだけは間違いないはずだ。その意味では彼は典型的な日本人であり続けたといえるのである。(p.21)

野口像を破天荒な生身の姿として描きなおした評伝に『遠き落日』(渡辺淳一角川書店、一九七九)がある。ここで野口は、結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許嫁や彼の支援者を裏切り続けた、ある意味で生活破綻者としてそのダイナミズムが活写されている。ところが、このような再評価は日本では勢いを持つことなく、いまだにステレオタイプな偉人伝像が半ば神話化されている。これがとうとう大手を振って、お札の肖像画にまで祭り上げられるというのは考えてみればとても奇妙なことである。(後略)(p.22)
ドラマ『野口英世伝 光は東方より』の方が脱神話化としては、渡辺淳一の本に先んじていたことになる。

さて、ただひとつ、もし公平のためにいうことがあるとすれば、それは当時、野口は見えようのないものを見ていたのだ、ということがある。狂犬病や黄熱病の病原体は当時まだその存在が知られていなかったウィルスによるものだったのだ。自分を受け入れなかった日本への憎悪と、逃避先米国での野心の熱が、野口の内部で建設的な焦点を結ぶことがついになかったように、ウィルスはあまりにも微小すぎて、彼の使っていた顕微鏡の視野の中に実像を結ぶことはなかったのである*7。(p.23)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141230/1419908212

*2:http://d.hatena.ne.jp/spirit7878/

*3:See eg. http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-41642

*4:これに限らず、1970年代のテレビマンユニオンによるドキュメンタリー・ドラマの実験は、日本のTVドラマの歴史の中で重要な位置を占める筈だ。

*5:http://www.noguchihideyo.or.jp/

*6:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141013/1413199495

*7:ウィルスを見ることが可能な電子顕微鏡が開発されたのは、野口英世の死後の1930年代(Cf. p.35)