福岡県、そして兵庫県

先ずは〈代ゼミ殺人未遂事件〉*1を巡る『朝日』の続報;


代ゼミ殺人未遂事件「包丁は事前に準備」 容疑者供述

2014年11月13日00時23分


 北九州市代々木ゼミナール小倉校で男子予備校生が包丁で刺された事件で、殺人未遂容疑で逮捕された予備校生中島政夫容疑者(30)=同市八幡西区則松2丁目=が福岡県警の調べに対し、包丁を事前に準備した、と説明していることが捜査関係者への取材でわかった。県警は計画的な犯行の可能性もあるとみて調べている。

 小倉北署によると、中島容疑者は11日正午ごろ、同校4階の自習室で、男子予備校生(19)の左胸など数カ所を包丁(刃渡り約16・5センチ)で刺し、殺害しようとした疑いがある。男子予備校生は約3カ月の大けがをして入院している。

 関係者によると、中島容疑者は4月から大学進学を目指して同校に通うようになり、「学校の先生になるのが一つの夢」などと関係者に話していた。約1週間前、別の予備校生と口論になったことがあり、その際、大けがをした男子予備校生が仲裁に入っていたという。

 中島容疑者は署の調べに「目が合ってにらまれた。口論になった」と話しているといい、署は動機などについて詳しく調べる。
http://www.asahi.com/articles/ASGCD5G3GGCDTIPE016.html

たしかに、調理学校ではなく予備校に「包丁」を持ってくる人は普通はあまりいないと思う。「約1週間前、別の予備校生と口論になった」ということで、被害者はその「別の予備校生」の身代わりになったのかと一瞬思った。その人を狙っていたが、いなかったので、偶々近くにいた被害者を(八つ当たり的に)刺した。と勝手に考えたところで、下のパラグラフを読むと、「目が合ってにらまれた。口論になった」という。他人と「目が合って」しまった場合、下手に睨み返すとやばいんだな。でも、「目が合って」しまった瞬間、相手が睨み返す以前に視線を反らすとかしなかったのかなどと、勝手なことをつらつらと考えてしまった。
同じ福岡県の出来事。
『毎日』の記事;

福岡県立高校:同級生の全裸動画、ネット投稿

毎日新聞 2014年11月13日 12時10分(最終更新 11月13日 13時29分)


 福岡県内の県立高校の男子生徒が、複数の生徒で同級生を全裸にする様子を動画で撮影し、インターネットサイトに投稿していたことが分かった。学校側は投稿した生徒を特定し動画を削除させた。

 同校や県教委によると、7月上旬、水泳の授業の後に更衣室で、1人の男子生徒が同級生4人に水着を脱がされた。4人のうち1人がこの様子をスマートフォンで撮影し、8月下旬に不特定多数の人が閲覧できるサイトに投稿した。動画には被害に遭った生徒の顔などが映っていた。

 動画の閲覧者から今月8日、学校に連絡があり、10日に投稿した生徒を特定したところ「ふざけてやった」などと事実関係を認めたが、いじめについては否定しているという。

 同校は「ネットモラルや友人関係のあり方について、生徒や教員への指導を徹底したい」と話し、県教委も各校にネットモラルなどについて注意するよう指導する方針。
http://mainichi.jp/select/news/20141113k0000e040223000c.html

学校に通報した「動画の閲覧者」はどのようにして学校を特定できたのだろうか。もしかして、学校の関係者であり、「被害に遭った生徒の顔」を知っている人なのだろうか。また、「被害に遭った生徒」は自分の裸体がネットに晒されたことを知っていたのだろうか。
さて、他者の眼差しにさらされうる状態に置かれた私の身体(の部分)というのは私の名前と結びつく限りで〈私の身体〉なのであって、私の名前と結びつかなければ、それは匿名的な〈誰かの身体〉にすぎない。身体が〈誰かの身体〉に止まっている限り、プライヴァシーの侵害は本格的には開始されていないといえるかも知れない。というか、身体が私の名前と結びついて〈私の身体〉が構成されること、それは〈私の身体〉或いは私という存在が他者の眼差しを引き受けるべき公的な私=表面と他者の眼差しから保護されるべきプライヴェートな私=裸体(or内面)とに分割されるのと同時的であるといえるだろう。そして「顔」である。身体の他の部位がどんなに服装に覆われていても、「顔」は裸であるのがノーマルである。また、「顔」は他者が私をアイデンティファイするための特権的な身体部位である。マスクとかサングラスによって顔(の一部)を隠すこと、それは他者が私をアイデンティファイするのを阻止するために行われる。顔見知りとはお互いに「顔」と名前を結び付けることが可能な人のこと。勿論、「顔」以外の身体部位、例えば性器とか指とか足とかも、〈顔〉として機能死し、私という存在を(換喩的に)喚起することはあり得る。しかし、私の裸体から私を喚起できるのは私の性的パートナーなどの特権的な他者だけである。さて、顔見知りは私の顔を知らない者に、これは誰々だよと教えることができる。それによって、私の顔見知りではない者も、私の名前と私の身体(の部分)を常に照合することが可能になる。かくして、私のプライヴァシーは(潜在的には)万人に晒されてしまう。
問題は、脱がしている側の「顔」が写っていないことによる一種の圧倒的な非対称性なのかも知れない。この4人の行為によって被害者にもたらされた損害はその大小に拘わらず、また加害者をどんなに酷く罰したところで、埋め合わせられるものではない*2。また、その映像をサイトから「削除」したところで。さらにいうと、「顔」が写っていないことによって、加害者たちが〈恥を掻くことによって責任を取る〉という途も閉ざされている。例えば、所謂「バカッター」な人たち*3はまさに恥を掻くことによって責任を取ったのだった。勿論、加害者たちの恥ずかしい写真をネットに晒せとか加害者たちの名前や顔を公開せよというわけではない。でも、最大の問題が非対称性にあることは加害者に伝えておかなければならないだろう。


『朝日』の記事;


前兵庫知事・貝原俊民さん死去 神戸市内で交通事故

2014年11月13日18時01分


 13日午後2時半ごろ、神戸市中央区市道交差点で、貝原俊民・前兵庫県知事(81)が乗った乗用車と別の乗用車が衝突した。貝原氏は病院に運ばれたが、搬送先で死亡が確認された。貝原氏は、1995年に発生した阪神大震災当時の知事だった。

 神戸水上署によると、現場は信号のある交差点で、貝原氏は男性秘書(58)が運転する車の後部座席に乗っていた。署は、貝原氏の車に衝突した車を運転していた無職の男性(61)=兵庫県洲本市=を自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)容疑で現行犯逮捕したが、同日夕までに釈放。男性秘書と同乗の女性(78)が軽傷を負っており、容疑を同致死傷に切り替え、任意で事情を聴く。
http://www.asahi.com/articles/ASGCF5PXPGCFPIHB02M.html

このあっけなさが逆に劇的なるものを感じさせてしまう。因みに、最近の記憶に残る交通事故死というと、若松孝二テオ・アンゲロプロスという2人の映画作家の死(何れも2012年)*4
非常に素朴な疑問なのだけれど、「無職の男性(61)=兵庫県洲本市=」が運転する車はどういう角度で何処にぶつかったのか。後ろからの追突ではないよね。「同乗の女性(78)」がどの座席に座っていたのかはわからないのだけれど、一般的に「衝突」に関して、より危険なのは前の座席(運転席と助手席)だと思う。運転席と助手席でのシート・ベルト着用はかなり以前から義務化されていたけど、後部座席でのシート・ベルト着用が義務化されたのはけっこう最近のことだ。また、子どもは助手席に座らせてはならないともいわれる。運転していた「男性秘書」は「軽傷」で済んだのに、「後部座席」の貝原は死亡。側面からなのか。ただ、加害者の方は全然怪我をしていないようだ。同じ「乗用車」どうしで、相手が死亡するような衝突事故を起こせば自分だって無傷では済まないんじゃないかと素朴に思うのだ。