高齢化社会はニート社会

小川たまか*1「近所に保育所ができるのは迷惑? 地域で子どもを育てるということ」http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogawatamaka/20140604-00035995/


保育園の建設が近隣住民の反対によって難航することが増えているという。その理由は騒音と園バスによる事故の懸念。保育園ということだけれど、幼稚園でも事情は変わらないのでは? 小川さん自身の保育園年長組エピソードが言及されている。騒いだ園児の五月蠅さにキレた保育園の隣の爺が物干し竿で園の窓ガラスを割ってしまった。保育園を巡るトラブルというのは高齢化社会ということと関係があるようだ。出典は忘れてしまってが、ほかの記事でも保育園反対派として登場していたのは高齢者ばかりだった。まあ、何様のつもりだ? お互い様だ! ということがある*2。例えば、高齢者には聴覚の衰えている人が多く、高齢者との、或いは高齢者同士の会話は大きな声にならざるを得ないということがある。幼児が五月蠅いから保育園を建てるなというのなら、高齢者は五月蠅いから出ていけと言われても文句は言えなくなるけど、それでいいの? という話。ところで、高齢者というのは一種の「ニート*3である。だって、勤め人でも学生でもないのだから。社会の高齢化というのは「ニート」というか、24時間自宅にいる住民が増えるということでもある。かくして、紛争の機会は増える。もっと若い住民の場合、昼間は仕事に出ていたり学校に行ったりしていて、園児たちの時間とは被らない。
さて、小川さんは保育園が地域により開かれることを推奨している。それはそれで正しいのだけど、幼稚園にせよ小学校にせよ、子ども関係の施設が犯罪などへの懸念から昔よりも閉鎖的になっているということも事実であろう。俺が子どもの頃、幼稚園の園庭は園児が帰宅すると近くの小学生どもの遊び場になっていた。近くの幼稚園の園庭で遊んでいて、そのことを咎められたことは全くない。でも、こういうことは今はもう考えられないことなのだろう。というよりも、園児が帰宅した空の園庭に小学生が侵入すること自体が不可能になっている。