通過儀礼としての妊娠と出産(メモ)

イブの出産、アダムの誕生―お産を愛する人たちが語るもうひとつの出産 (人間選書)

イブの出産、アダムの誕生―お産を愛する人たちが語るもうひとつの出産 (人間選書)

きくちさかえ『イブの出産、アダムの出産 お産を愛する人たちが語るもうひとつの出産』(農山村文化協会、1978)第5章「出産と文化の関係」の中の松岡悦子さんへのインタヴューから少し抜き書き*1


文化人類学では文化と自然とを分けてとらえています。文化というのは人間がつくりあげてきたものです。それに対して自然というのは、何があるのかわからない、いわばカオスです。人間はそれをそのまま放っておくのではなくて、どの民族でも文化の中へ取り込むということをしてきました、
生まれて死ぬまでの人生の中にも区切りをつけるために儀礼をして、元いたところから次のステップに移ったということを本人にもまた周囲にもわからせていくということを仕組んでいます。それが通過儀礼です。自然というのは連続していますから、その流れの中で人間は今日も昨日も同じ自分なんですが、そこに境界を設けて儀礼をすることによって人間は社会の秩序をつくろうとする。人の手を加えることによって、境界の移行があたかも儀礼によって引き起こされたように思わせる。自然を文化化しているわけです。(p.230)

まず、妊娠すると女性は妊婦の仲間入りをして、社会からも”妊婦”として見られて今までと違う状況に移ったことを自覚します。そして、病院に行って診察を受けるわけですが、そこには内診が待っています。女性にとって内診は通常では考えられないような屈辱的な行為ですが、これは女性に課せられた通過儀礼の試練として、とてもシンボリックですよね。そこで女性は個人のアイデンティティを捨て、次々に病院で行なわれる儀礼をクリアしていく参入者となるわけです。(p.232)

出産のときの産科処置もひとつひとつが儀礼として考えられます。まず陣痛が始まって入院すると、女性はパートナーと離されて入院服に着替えさせられ、剃毛や浣腸などの処置を受けます。髪の毛を切ったり剃ったりする行為は、種々の通過儀礼でそれまでのステイタスを離れる象徴として行なわれていることです。
陣痛の痛みそのものが試練であるのはもちろんですが、そのとき産婦は意識も朦朧となって、助産婦に励まされたり叱られたりします。「もっといきんで! いきみが下手ね」とか「そんなことでは母親になれないわよ」とか。こうした叱責やからかいも、実は様々な通過儀礼にはよく見られることなのです。産婦は本当に死ぬのではないかと思うほどの痛みを味わうのですが、これは象徴的に死を体験することだといえます。すべてが終わったときに、女性は母として生まれ変わるのです。
最後に行なわれる会陰切開は、一番シンボリックな儀礼といっていいでしょう。未開社会での通過儀礼には、からだに傷をつけたり、加工を施すことがよくありますが、会陰切開はまさにこれです。会陰切開には、医学的な必要性がいろいろと説明されてはいますが、多くの病院では初産婦にはルーティンで行なわれることが多い。また、女性のほうもそれをまるで伝統のように受け入れています。これはまさに儀礼的な行為ですね。また、切開をして縫合することによって膣が伸びるのを防ぎ、元のような状態を保てるという考え方は、自然に任せて放っておくより手を加えたほうがより美しくなれるとか、女として望ましい形になるというもので、アフリカなどに見られる女性器の切除や入れ墨などの考え方に共通したものです。(pp.232-233)
通過儀礼」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070313/1173808241 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081221/1229862299 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090912/1252725448 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101217/1292524553 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110222/1298351689 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110612/1307892557 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110924/1316802079 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120427/1335557122 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131231/1388455834 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140102/1388631882も。

*1:引用するのは、原則として松岡さんの発言。