Ayuo Met Warhol(Memo)

森美術館で『アンディ・ウォーホル展』をやっているのね。

AYUO*1「アンディ・ウォーホル展 アンディ・ウォーホルとの出会い」(『intoxicate』108、2014、p.9)からメモ;


僕は小学5年生の時にアンディ・ウォーホルと会った事がある。70年代の初め頃だった。60年代では自由で開放的で、様々な人の交流場として、銀色のアルミフォイルで包んだファクトリーという場所を仕事場にしていたが、68年以降新しい仕事場をオフィスと名づけ、ビジネス・アートと名づけたものをそこで作るようになった。そのオフィスに日本から来た映画監督の勅使河原宏と僕の母と一緒に行った。長いくるくるした髪の毛をした女装姿のホーリー・ウッドローンがテーブルの上に座り、口を大きく開けてけたけた妖怪のように笑っている。数人が窓の外にぶら下がっている。アンディはカメラを持って、ひたすら歩き回りながら来た人たちの写真を取っている。実は今から来るお客さんにパフォーマンスをやってやれと、前もって打ち合わせたものだった。

ところで、『intoxicate』はその前の107号には佐村河内守*2へのインタヴューが載っている(p.35)。守ちゃん曰く、「僕にとって、4歳からかじりつき愛してきたピアノという楽器は、ルーツなのです」。それよりも、インタヴュア(山野雄大という方)の地の文章の方が凄いね。例えば、


(前略)佐村河内守のピアノ・ソナタは、楽器を限界まで追い込むような激しさに満ちているが、(限界に挑戦すること)が作曲家の望みだったわけではあるまい。苦闘の中で我が身を削るように生まれる〈自己の音楽〉を、ピアノという戦場でぎりぎりまで激しく問い詰めた結果としての、必然。