つぶあんが好き

「そしてオタクたちは、また迫害されていく」http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20131231/1388453783


KoshianX*1って「非モテ」論客だったんだね。
さて、上のエントリーの背景になっている『人工知能学会誌』表紙問題に関しては、関係リンクが豊富な、


人工知能学会誌の表紙の話はドレスコードの話と同じ」http://d.hatena.ne.jp/next49/20131230/p1
「次は情報処理学会学会誌に関してポリティカルコレクトな表紙かを語ろう」http://d.hatena.ne.jp/next49/20131226/p3


をマークしておく。
さて、この問題を考えるに当たって、(例えば)カレル・チャペックの『ロボット』に遡って、人工知能なりロボットなりを、またそれらが体現している〈労働〉の存在論的な地位を脱構築せんとした人はいるのだろうか。あの絵が女性差別的か否か。この問題を軽んずるつもりはない。しかし、それはもっと大きな問題の一部なのではないか。つまり、現実存在(existence)を本質存在(etre)に還元してしまうこと*2、とりわけ人間を機械*3に還元してしまうことの暴力性に関わる問題。これは、表紙の是非どころか、人工知能の研究開発自体が絶えず反省を要請される問題なのだが、研究開発に無縁な私たちもこれから逃れることはできないだろう。生きるということは否応なく、また無自覚的にそうした還元の暴力を行使することを含んでしまっているともいえるわけだから。

ロボット (岩波文庫)

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