承前*1
田中俊英「大瀧詠一は、僕には「総中流社会」の象徴だった」http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20140101-00031194/
曰く、
その頃*2はすべての人(特に若者)が自分は「中流」だと確信しており、まさかその30年後に、今のような階級社会(非正規雇用が40%でそのほとんどが正規雇用になれない社会)になろうとは誰も思っていなかったと思う。そうした「総中流」の象徴として、僕には大瀧詠一の『ロング・バケーション』*3があった。大瀧が日本のロックの源流であるはっぴいえんど創設者だと知ってはいたが、「君は天然色」の甘いメロディと歌声は、僕の19才時のルサンチマンを増幅させたのであった。
- アーティスト: 大滝詠一,松本隆
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「ミニマムな幸福」と「全体の幸福」の関係については、判断を留保しておく。この田中さんは私とほぼ同世代であるようだが、私は我が青春の1980年代前半に(この方のような)明るい印象を抱いたことは今も昔もあまりなかった。田中さんのいう「総中流社会」というのは山田昌弘氏(『希望格差社会』)のいう「戦後安定社会」*5に対応するということでいいのだろうか。また、この方、別のエントリーでは、小沢一郎もとい小沢健二*6について語っている*7。
この人達*4にとっては、80年代も現在も、その背景はあまり変わりはなく、各々の音楽ライフをただひたすら追求していくことが最重用のように聞こえる。彼らの感覚は、僕にとっては、「ひきこもりの子を持つ団塊世代の親」の語り口と重なる。団塊世代の彼らは、各々の個人的探求(この坂崎との番組の中の大瀧であれば、50〜60年代アメリカンポップス)を追求してくことが、社会全体の幸福に寄与しているという確信があるように感じられる。
そうした、ミニマムな幸福が全体の幸福とつながっている、これが「総中流社会」の構成員のあり方だと僕には思える。
対して、たとえば『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著)等を読んでいると、現代の若者たちの個人的探求が社会全体の幸福とつながっているようには思えない。
それは、「社会の中の一部の階級」とはつながってはいるものの、大瀧のような「(自分のオタク的探求が)社会全体に自分は受け入れられている」という独特の幸福感・社会との一体感はまったく感じられない。
1人ひとりは孤独だが、階級的に同じスモールサークルのなかではプチ幸福を感じられる。それが、現在、団塊ジュニアより下の、階級社会の中でのエートスのように僕には思える。
希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)
- 作者: 山田昌弘
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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「さようなら大瀧詠一さん 日本のポップ史を変えた偉大な功績を振り返る」http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140101-00010002-realsound-ent
これはオーソドックスな記事。
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131231/1388460166
*2:1983年頃?
*3:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101109/1289234317
*5:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101019/1287522228 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110118/1295373044
*6:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090322/1237741323 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100528/1275013322 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131108/1383873218
*7:「10代の「新しい光」〜「新しい孤独」のあとのオザワケンジ」http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20131221-00030865/