海老敷など

承前*1

戸籍関係の用事で、内房線に乗って、富浦駅近くにある南房総市役所*2に行った。それで、今回、慶応元年生まれの曾祖父(祖父の父)、さらに何時生まれたのかわからない高祖父(祖父の祖父)の名前を知った。
さて、父親は現在は南房総市に組み込まれている旧安房国府村海老敷という土地で出生している。祖父が既に戦前に東京に移住してしまったこともあり、これまで数度しか行ったことがない。今回も行かなかったが、「海老敷」についてちょっと検索してみた。


地域は、海老敷山「金比羅山」を含め「平久里川」の支流海老敷川の流域に展開する山間集落である。
 地名は、元禄郷帳に蛯敷村、天保郷帳に海老鋪村、また旧領旧高取調帳に海老敷村と記されている。
 里見氏時代末の村の石高は208石余。
 江戸初期には里見家臣正木氏の所領であったが明治元年(1868)には長尾藩本多氏の所領となり、明治2年版籍奉還、同4年廃藩置県により木更津県に、同6年に千葉県に属し、戸長役場制となって自治行政が行われた。
 明治11年(1878)からは「山下村」と村連合をし、更に同17年戸長役場所轄区域の変更により「谷向村」「明石村」「川田村」「大学口村」「本織村」「府中村」と連合した。
 明治22年(1889)の町村制施行により連合していた八村は国府村となり海老敷はそのまま大字となった。
●領有主 里見氏時代末期は里見家一門の正木氏の所領であった。これ以前のことは不明。
 慶長19年(1614)里見氏改易の後は幕府直轄領となる。
 正保元年(1644)には、旗本諏訪氏の所領となり、享保12年(1727)の日光御社山の「村々助郷請帳」には旗本諏訪氏の所領となったことが記されている。
 文政10年(1827)には、旗本小笠原氏の所領となり、天保14年(1843)には、海防のため派遣された忍藩の所領となったが、嘉永6年(1853)忍藩引き上げの後は岡山藩の所領、翌7年には替わって前橋藩の所領となった。
 明治元年(1868)長尾藩の所領となり、同2年の版籍奉還まで領有が続いた。
http://park.geocities.jp/k53n/220ebisiki.html *3
また、海老敷にある「海老敷金比羅山」という山について;


http://tenten.daa.jp/yama/ebisiki.html
http://takaki-i.blog.so-net.ne.jp/2011-11-22


千葉に戻って、中村文則の小説が買いたくなって、『掏摸』(河出文庫、2013)を買う。それから、多和田葉子『言葉と歩く日記』(岩波新書、2013)も。

掏摸(スリ) (河出文庫)

掏摸(スリ) (河出文庫)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131221/1387591171

*2:http://www.city.minamiboso.chiba.jp/

*3:この『私たちの地域自慢』(http://park.geocities.jp/k53n/index.html)というサイトは「南房総市三芳にあるいろいろな名所・旧跡・伝説の紹介です」という。