「社会連帯主義」(メモ)

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

承前*1

佐久間寛「経済 交換、所有、生産――『贈与論』と同時代の経済思想」(in モース研究会『マルセル・モースの世界』*2、pp.181-212)からの抜書きの続き。
佐久間氏は


モースが語る社会主義は、いわゆる共産主義でも、単なる国家体制でもない。またその彼が社会主義との関連で語る道徳は、単なる精神や、善悪の観念ではない。そこに潜む近代西欧あるいは第三共和制期フランス(一八七〇―一九四〇)に固有の意味を、けっして見おとすべきではない。(p.199)
として、「社会連帯主義」について述べる;

一八―一九世紀の西欧では、急速な産業化にともない、都市部に膨大な貧困層が生み出されていった。労働力を買う者と売る者のあいだの経済格差は歴然としていた。平等な所有権をもった市民が市場で商品や労働力を自由に交換すれば最良の経済状態がなりたつとする自由主義の古典的経済理論は、この現実の前では無力だった。その刷新がなされるには、一八七〇年代の「限界革命」と呼ばれる理論転換をまたねばならなかった。モースの論敵アフタリオン*3は、この新理論を代表する経済学者のひとりだった。
他方、自由主義的経済学の対抗理論の急先鋒として登場したのがマルクス主義であった。とりわけその剰余価値論は、分析の中心を商品交換の場(市場)から清算の場へと転換することで、労働力を売買する人々のあいだの経済的不平等が、ただの貧富の差ではなく、生産手段(興行設備など)の所有/非所有という質的な差にもとづいていることを論証した。資本家が私有制のもとで合法的に生産手段を独占している以上、革命以外に社会を変える道はない。市場と私有制をなくし、生産手段を集団所有化(集産化)しなければならない。マルクス主義は、紆余曲折をへつつも、思想と運動両面で国際的な潮流をなしていった。そのひとつの到達点が一九一七年の「ロシア革命」であった。
のちの東西冷戦へと連なっていく自由主義マルクス主義の対立の構図は、ロシア革命をきっかけに、政治や労働運動はもちろん、経済学界でも先鋭化していった。(略)アフタリオンの著書*4も、こうした思潮の一端をなしていた。モースの批判は、彼の著書というより、こうした二項対立の構図そのものに向けられていた。
空想的社会主義社会民主主義、修正主義、第三の道。時代と国、名ざす者と名ざされる者によって名称も内実もさまざまではあるが、自由主義にもマルクス主義にも還元できない社会主義的といえる思想や運動は、モースと同時代の西欧においてさえ、現実にも可能性としても無数に存在していた。とりわけモース思想とのかかわりで最低限知っておきたいのは、フランス第三共和制初期に政治と学問の場で一定の勢力を築いた社会連帯主義である。この思想では、貧困が現行の交換・所有制度と無関係ではないことをふまえつつも、その根本的原因は無規律な市場の働きから生じた社会の空洞化にあること、ゆえにその解決は革命ではない社会の再組織化(連帯)によってなされること、そのためには市民革命時に解体された個人と国家をつなぐ中間集団(職業集団や協同組合など)を再建するべきこと(中間集団の組織化)が主張された。この思想を政治之場で主導した勢力(急進共和派)は、累進課税・社会教育・社会保険の導入を唱え、世紀転換期には一連の社会立法を成立させた。その労使協調型の政策は、第二次大戦後の福祉国家体制の源流となっていった。一方、学問の場で社会連帯主義を主導したのは、フランス社会学の祖エミール・デュルケムであった。彼は、分業の発達にともない社会は機械的連帯から有機的連帯へと質的変化をとげること、いいかえるなら、経済的な事象とみなされがちな分業化には連帯を支える道徳(信念・慣習・法・宗教といった集合意識)の変化がともなうことを主張した。彼の社会学は、この意味での道徳を観察・分析する新たな科学でもあった。彼は社会主義の研究もおこない、思想家としてのマルクスにも一定の評価をほどこしたが、その経済還元主義や革命主義は退けた。貧困や階級対立はたんに経済的な問題ではなく道徳の問題でもあり、議会制民主主義の枠内における改革を通じて解決可能な問題とされた。
現代のわたしたちには想像しにくいことだが、この時代のフランスでは「社会学」と「社会主義」は遠からぬ関係にあった。また道徳とは、国家と個人をつなぐ中間集団の再建という独特の問題構成のなかにおかれた、科学的概念だった。当時のフランスには、デュルケム社会学をふくむ社会連帯主義を、自由主義マルクス主義双方を乗りこえる広義の経済学ととらえる見方さえあった(ジイド&リスト 一九三八)。(pp.200-202)
これは英語圏における「新自由主義(new liberalism)」に対応するのか(Cf. 齋藤純一『自由』、pp.11-12)*5
自由 (思考のフロンティア)

自由 (思考のフロンティア)

アルベール・アフタリオンについては、「ブルガリア出身、パリで学んだ貨幣・為替理論で著名な経済学者」とある(p.194)。
アフタリオンを巡っては、


Wikipedia(英語版)http://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Aftalion
Wikipedia仏蘭西語版)http://fr.wikipedia.org/wiki/Albert_Aftalion
http://cruel.org/econthought/profiles/aftalion.html
Le Comite de Direction (de Revue economique) “Albert Aftalion in memoriam” Revue Economique 8-1, p.1, 1957 http://www.persee.fr/articleAsPDF/reco_0035-2764_1957_num_8_1_407218/article_reco_0035-2764_1957_num_8_1_407218.pdf


を参照のこと。
「 ジイド&リスト 一九三八」は『経済学説史 下巻』(宮川貞一郎訳)東京堂、1938。シャルル・ジッド(Charles Gide)については巻末の「モース関連名鑑」に、


経済学者・協同組合思想家。一九二〇―三〇年代にコレージュ・ド・フランスで協同組合思想に関する講座を担当。モースやデュルケムとは学的・政治的に立場が近く、交流も深かった。作家アンドレ・ジッドは彼の甥(兄の息子)。(p.257)
とある。また、


http://www.charlesgide.fr/
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Gide
http://www.alternatives-economiques.fr/charles-gide--1847-1932-_fr_art_222_27776.html
http://www.museeprotestant.org/Pages/Notices.php?scatid=71¬iceid=725&lev=1&Lget=EN


を参照のこと。今村仁司『貨幣とは何だろうか』でシャルル・ジッドが言及されていたような気がする。

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120208/1328705885 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120211/1328942895

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120126/1327606307

*3:モースのアフタリオンに対する批判についてはpp.194-199を参照のこと。

*4:Les fondements du socialisme: Etude critique 1923

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070205/1170649460 neoとnewな大違い。