「セクハラ」がなかった頃(メモ)

承前*1

ジェンダーで学ぶ社会学

ジェンダーで学ぶ社会学

中河伸俊「悩む――個人の悩みと社会問題」(in 伊藤公雄、牟田和恵編『ジェンダーで学ぶ社会学』、pp.126-141)


また少しメモ。


(前略)セクシュアル・ハラスメントは、二十数年前に*2アメリカで生まれた新語だ。この語が登場するまで、職場や公共の場での男性の性的な行動や誘いかけ、揶揄などによって女性がしいられる不快な経験を包括的に指すカテゴリーはなかった。フェミニストの言葉を借りるなら、「かつてそれは、単に女の生の一部にすぎなかった」。「名前(言葉)のない問題は、私たちの目には見えず、存在しないも同然」だったからである(宮淑子『セクシュアル・ハラスメント』朝日新聞社、一九九三年)。
セクシュアル・ハラスメントという新しいカテゴリーによって、女性はみずからの不快な経験の意味づけをし直し、それを「仕方がない」ものではなく、男性の侵害行為がもたらす被害として語ることができるようになった。しかも、セクシュアル・ハラスメントは、その語が指し示す事柄を、個別の男性の不行状ではなく、社会に広く分布する男性の性差別的な慣行として、つまり公共の対処が必要な社会問題として定義した。(pp.132-133)
セクシュアル・ハラスメント (朝日文庫)

セクシュアル・ハラスメント (朝日文庫)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160725/1469416155

*2:このテクストの刊行は1998年である。