島倉千代子

先週のこと。
NHKの報道;


歌手の島倉千代子さん死去
11月8日 17時17分


「東京だョおっ母さん」や「人生いろいろ」などのヒット曲で知られる歌手の島倉千代子さんが、8日午後、肝臓がんのため東京都内の病院で亡くなりました。
75歳でした。

島倉さんは東京都出身で、高校在学中に歌謡コンクールで優勝し、翌年の昭和30年に歌手としてデビューしました。
このデビュー曲「この世の花」が大ヒットとなり、一躍人気歌手の仲間入りを果たし、その後「東京だョおっ母さん」、「からたち日記」など幅広い層に親しまれるヒット曲を次々と出しました。
また、昭和63年には「人生いろいろ」で日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞しました。
NHKの紅白歌合戦には、昭和32年に初めて出場して以来、平成16年までに合わせて35回出場し、親しまれました。
島倉さんは、デビュー以来演歌を中心に60年近くにわたって芸能活動を続け、歌った曲は、合わせて1500曲以上に上りました。
島倉さんは、平成5年に乳がんの手術を受けたあと復帰を果たしていましたが、8日午後0時30分ごろ、肝臓がんのため亡くなりました。
ブログに歌への思い

島倉千代子さんの公式ブログ*1は、これまで1か月に1、2回の頻度で島倉さん本人によるメッセージがつづられてきましたが、ことし9月14日を最後に新しい書き込みはありませんでした。
最後のブログには、「待ちに待った秋がやって来ましたネ!」と題し、島倉さんの似顔絵が掲載されていました。
また、島倉さんは人気演歌歌手などが勢ぞろいして全国で開くコンサートにおととしから出演していて、ことし6月4日のブログには、このコンサートについて触れ「70才になったときに体力が“ガクン”と落ち、仕事を減らさなくてはならない現実、本当はもっともっと唄いたいのに・・・」と、みずから体力の衰えを感じている様子をつづっていました。
また、ことし4月のブログには、「(コンサートでは)30分歌っていますよ。75才!!ガンバッテ歌っていますよ」と元気な様子を伝えていました。
自伝につづった人生いろいろ

島倉千代子さんは平成6年に発表した自伝の中で、歌手としてデビューするまでのエピソードのほか、巨額の借金問題、それに、がんを患ったことについて赤裸々につづっています。
この中で、島倉さんは、中学のころから美空ひばりさんに憧れて歌手を目指したと書いています。
16歳のときに念願のデビューを果たしましたが、若くして一躍スターになったことからベテランの歌手らから“いじめ”を受けていたことを明かしています。
島倉さんは、「私に対するいじめが重なると、かえって私は力強くなり、その度に『なにクソ!』と思いきり乱暴な言葉で自分を励ましていた」と当時を振り返っています。
また、歌手として憧れていた美空ひばりさんについて「神様のような存在でした」とつづり、美空さんが晩年、入院していた時のエピソードに触れ、美空さんが見舞いを一切、断っていたなかで島倉さんを病室に招き入れ、鍋焼きうどんを一緒に食べたのが最後の思い出になったと振り返っています。
さらに、30代後半から40代にかけ、当時、交際していた男性が抱えていた巨額の借金の肩代わりをしたため、キャバレーやナイトクラブで歌いながら借金を返していたことを告白しながらも、「うたってお金を生み出せるだけ、どんなに幸せなことか」とつづっています。
また、55歳のときに乳がんを患ったことについては、「目を閉じても開いても闇」と告知を受けたときの心境をつづり、その後、治療し復帰を果たしたことについては、「たくさんのファンの方から励ましのお見舞いを頂いた。そのおかげもあって、私は乳がんを克服することができた」と喜んでいました。
葬儀は14日

8日亡くなった歌手の島倉千代子さんの葬儀・告別式は、東京・港区の「東京都青山葬儀所」で今月14日の午後1時から営まれることになりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131108/k10015909091000.html

上の記事では言及されていないが、東陽一の『サード』*2で、島倉さんは主人公「サード」(永島敏行)の母親を演じている*3。結果として、このキャスティングは大成功だったのだが、何故彼女をキャスティングしたのかということを東監督は語っていただろうか。
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