「おじろく」、何故?

2001年に、近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」(『精神医学』1964年5月号)と西丸四方「和風カスパール・ハウザー」(『精神医学』2000年5月号)という2つの論文をネタ本にした「おじろく、おばさ Ojiroku, Obasa」(『私家版・精神医学用語事典』*1)というエントリーがpostされ*2、2008年に近藤論文のかなり長い抜書きである「おじろくおばさ」というエントリーがpostされている*3。この2008年のエントリーは最近になって再度注目を集めるようになっている。私は某ブクマでこれを知った*4。2013年10月21日だけで実に14のブックマークがつけられている。これは、このエントリーが5年間に集めてきたブクマ数とほぼ同じだ*5。何故今頃になって、これが注目されているのか。
「おじろく」と「おばさ」とは何なのか。近藤論文を孫引きしてみる;


耕作面積の少ない山村では農地の零細化を防ぐために奇妙な家族制度を作った所があった。長野県下伊那郡天竜村では16−17世紀ごろから長兄だけが結婚して社会生活を営むが他の同胞は他家に養子になったり嫁いだりしない限り結婚も許されず、世間との交際も禁じられ、一生涯戸主のために無報酬で働かされ、男は「おじろく」、女は「おばさ」と呼ばれた。家庭内の地位は戸主の妻子以下で、宗門別帳や戸籍簿には「厄介」と書き込まれていた。かかる人間は家族内でも部落内でも文字通り疎外者で、交際もなく村祭りに出ることもなかった。

もの心のつくまでは長男と同じように育てられ、ききわけができるような年齢に達すると長男の手伝いをさせ長男に従うように仕向けた。兄にそむくとひどく叱られた。盆、正月、祭りなどに親戚回りするのは長男で、他の弟妹たちは家に残っていた。子供の頃は兄に従うものだという躾を受ける位のもので、とくに変わった扱いをされたわけではない。この地方では子供が小学校に行く年頃になると畑や山の仕事をどんどんさせ、弟妹がいやがるとそんなことでは兄の手伝いはできんぞと親たちが叱った。こうして折にふれて将来はお前達は兄のために働くのだということを教えこんでいたのである。それで成長するに従って長男と違う取扱を受けるようになったが、それは割合素直に受入れられ、ひどい仕打ちだと怨まれるようなこともなかったようである。親達は長男以外はおじろくとして兄を助け家を栄えさせるように働くのが弟妹の当然のことと考えていたので、子供たちをおじろくに育て上げることに抵抗を感じていなかったので、不憫だとも思わなかったようである。

おじろく、おばさ達は旧来の慣習のために社会から疎外されてしまったものである。それは分裂病に非常に似た点を持っている。感情が鈍く、無関心で、無口で人ぎらいで、自発性も少ない。しかし分裂病ほどものぐさではない。かかる疎外者がいるとその家は富むといわれる位によく働くのである。この点分裂病とちがう。しかし自発的に働くというより働くのが自分の運命であると諦念しているようである。こんなみじめな世界にくすぶっているより広い天地を見つけて行こうと志すものが稀なのは不思議であるが、田舎の農家には多かれ少なかれそういった雰囲気がある。(略)幻覚とか妄想があったようなものはないようであるし、気が狂ってしまったと言われる者もなかったそうである。無表情で無言でとっつきの悪い態度をしていながら、こつこつと家のために働いて一生を不平も言わずに送るのである。悟りを開いた坊主といった面白さもないし、ましてや寒山拾得といった文化遺産を残した者もない。まことにつまらないアウトサイダーであり、ただ精神分裂病的人間に共通するところがあるという点で興味があるだけである。
「おじろく」・「おばさ」だけど、〈イエ制度〉*6、或いは長子単独相続の直系家族ということを考えてみれば、その極限として十分に納得できる。武家社会には、(例えば若き日の井伊直弼みたいに)分家もさせてもらえず養子の口もない部屋住たちがうようよしていたんじゃないか。フィクションの世界では、そういう「厄介」たちは暇を持て余して悪事に走り、最終的には桃太郎侍のような正義の味方に退治されてしまうわけだが、実際の武家社会でどのような扱いを受けたのかはあまりわからない。どの社会でも、人口学的「厄介」をどう処遇するのかというのは重要な問題だったわけで、中世に、現在の門跡寺院に連なるような寺が皇族や公家によって多く創建されたことにも人口学的意味はあったわけでしょ。
近藤論文では、「おじろく」・「おばさ」と「精神分裂病」が比較されている。ここでいう「精神分裂病」とは派手な電波が飛び交う急性の精神分裂病ではなく、或る種の涅槃的静謐さが支配するという慢性の精神分裂病のことだろう(cf. eg. R.D.レイン『引き裂かれた自己』)。またここに名前と論文が挙がっている西丸四方氏は『病める心の記録 ある精神分裂病者の世界』という本を出していた。精神分裂病統合失調症)には静謐というイメージを持っていたので、自分の息子の狼藉と「統合失調症」とを結び付けるかのような発言をした平井卓也には疑問を持ったのだった*7。それとともに「おじろく」・「おばさ」の記述から思い出したのは、所謂ロボトミーを施されてしまった人たち。『女優フランシス』とか。 
ひき裂かれた自己―分裂病と分裂病質の実存的研究

ひき裂かれた自己―分裂病と分裂病質の実存的研究

病める心の記録―ある精神分裂病者の世界 (中公新書 (153))

病める心の記録―ある精神分裂病者の世界 (中公新書 (153))

女優フランシス [DVD]

女優フランシス [DVD]

さて、何故今「おじろく」と「おばさ」なのか。2008年に近藤論文を抜書きした方は別エントリーで、

「おじろくおばさ」については、ヒトってなんなんだろうと考えていたときに出会った概念です。
たとえば全体主義のただなかなど特定の思想にどっぷりと浸かって生活してる人間は、はたして今の私と同じ感覚で生きているのだろうか、という素朴な疑問がありました。
死ぬことへのハードルの低さや自由へのあこがれのなさ、そういった感覚があるように見受けられる人たちは、私と何かが違うのだろうかと。
http://susan.air-nifty.com/homedry/2008/06/post_b03c.html
と書いている。そういう全体主義社会とか俗にカルトとか謂われる内閉的集団*8における社会化或いは人格形成への関心がこのリヴァイヴァルの背景にあるの?
ところで、近藤論文のタイトルにある「未分化社会」って、機能分化が進んでおらず社会システムが複雑化していない社会ということだろうけど、これについての考察はどうなっているのだろうか。

*1:http://psychodoc.eek.jp/abare/psy.html

*2:http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html

*3:http://susan.air-nifty.com/homedry/2008/06/post_aa7b.html

*4:http://b.hatena.ne.jp/haruhiwai18/20131021#bookmark-10174030

*5:http://b.hatena.ne.jp/entry/susan.air-nifty.com/homedry/2008/06/post_aa7b.html また、10月21日付けで、「おじろく」「おばさ」の語源について推論して遊んでいるエントリーがあるが、これには今のところブックマークはついていない。http://d.hatena.ne.jp/ROYGB/20131021#p1

*6:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050629 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060210/1139536917 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060503/1146669098 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060911/1157995004 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061104/1162658727 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080419/1208593120 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080823/1219501117 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081127/1227780946 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090904/1252032047 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090918/1253249073 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090928/1254069607 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090930/1254274901 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091126/1259205760 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100201/1265041221 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101209/1291899124

*7:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130928/1380386655 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131002/1380739919

*8:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060902/1157162086 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070301/1172726884 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080301/1204369049 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090323/1237790007 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101221/1292955257 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130416/1366106496 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130423/1366721850