「花は咲く」をおちょくって(辺見庸)

藤原章生「息苦しさ漂う社会の「空気」 辺見庸さんに聞く」『毎日新聞』2013年5月9日


辺見庸*1へのインタヴュー。
小説の中で復興キャンペーン・ソング「花は咲く」をおちょくったら、編集者からクレームがついたという;


「俺はあれが気持ち悪い。だってあの歌って(戦時中に隣組制度を啓発するために歌われた)『とんとんとんからりんと隣組』と一緒だよね。そう思って書いた部分を、編集者が『書き換えてほしい』って言う。文芸誌で何を書こうがいいはないか、なぜ遠慮しなくちゃならないのかって言うと、『あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ』と。もう目をぱちくりするしかないよね」

昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会方監視されてしまうムードがあるんじゃないの? 政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。それが今のファシズムの特徴です。盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」
藤原は「イタリアの社会学者、フランコカッサーノ」に言及している。曰く、

辺見さんは地中海人的だ。
「何を唐突に」と思われるかもしれない。だが、著書『瓦礫の中から言葉を』の中にある〈根はとてつもなく明るいけれども、世界観と未来観についてはひどいペシミスト悲観主義者)〉や〈あの荒れ狂う海が世界への入口だったから、いつか、どんあことをしてもあの海のむこうに行くんだと決めていた〉といった自己描写は「南の思想」を著したイタリアの社会学者、フランコカッサーノの言う地中海人の定義にぴったりと収まる。
カッサーノによれば、地中海人は強大な国家に虐げられた歴史から政府や多数派が求めるものを疑ってかかり、海の向こうに自由を求める。辺見さんも同じだ。(後略)
Franco Cassanoについては知らなかったけれど、伊太利ではかなり重要な社会学者であるらしい。Wikipediaも伊太利語版しかなく、何が書いてあるのかは朧気にわかるという感じ*2。Franco Cassanoが言及された英語のテクストとして、


Stefano Allievi “Conflicts, Cultures and Religions: Islam in Europe as a Sign and Symbol of Change in European Societies” (Originally Yearbook on Sociology of Islam 3, pp.18-27, 2005) http://www.stefanoallievi.it/2005/03/conflicts-cultures-and-religions-islam-in-europe-as-a-sign-and-symbol-of-change-in-european-societies/
Clarissa Clo “Visions of Italy beyond the North/South divide: regional documentaries and global identities” http://www.thefreelibrary.com/Visions+of+Italy+beyond+the+North%2FSouth+divide%3A+regional...-a0182201823


を取り敢えずマークしておく。
辺見インタヴューに戻って、アガンベン*3の謂う「ホモ・サケル」;


古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えると階級闘争が激しくなると思われていたけれど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」
この記事はhttp://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130509/1368104940でも言及されている。