そこまで罵倒されていれば(音楽篇)

承前*1

濱田某のAKB48本に対する山形浩生*2のような徹底的にdisりまくりの書評を読むと、却って興味が湧いて、立ち読みくらいはしてやろうじゃねぇかという気になってくることもあり得る。
さて、村上春樹は『意味がなければスイングはない*3の中で、「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」と題してウィントン・マルサリスを論じている。つまりdisっているわけだ。これに刺戟されて、マルサリスを試聴くらいはしてやろうじゃねぇかと思った人はどれくらいいるのだろうか。村上春樹の文章を読んで、エリック・クラプトンと組んだWynton Marsalis & Eric Clapton Play The Bluesを聴き直した。

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

Wynton Marsalis & Eric Clapton Play The Blues

Wynton Marsalis & Eric Clapton Play The Blues

さて、村上春樹

(前略)マルサリスは身にあった「容れ物」がないことには、前に進めないタイプの音楽家である。表現は悪いけれどヤドカリと同じで、しっかりした殻=ストラクチャーを手に入れてこそ、腕が存分に発揮できるタイプの人だ。(後略)(p.205)
と書いている。これと村上思想の文脈における「卵」と「壁」*4の関係は如何に?