吉田秀和

古寺多見氏のエントリーを読んで、音楽評論家の吉田秀和氏が亡くなったということを知る*1
スポニチ』の記事;


吉田秀和さん 98歳で死去 クラシック音楽評論の第一人者
スポニチアネックス 5月27日(日)11時56分配信
 クラシック音楽評論の第一人者で、文化勲章受章者、水戸芸術館館長の吉田秀和(よしだ・ひでかず)氏が22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。

 98歳。24日に密葬が執り行われた。

 東大仏文科卒。1946年、「音楽芸術」誌に「モーツァルト」を連載し、評論活動を開始。幅広い分野を精緻で豊かな表現で論じ、多くの作品を発表。その語り口の柔らかさと鮮やかさには定評があり、対象は美術や映画の分野にまで及んだ。75年に「吉田秀和全集」で大仏次郎賞を受賞。2006年に文化勲章を受章した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120527-00000082-spnannex-ent

毎日新聞の梅津時比古氏の追悼記事;

吉田秀和さん死去>音楽表現に論理的な視点を提示
毎日新聞 5月27日(日)19時38分配信

 22日に亡くなった吉田秀和さんは、美しい文体の評論で、音楽ファン以外にも多くの人を引きつけた。東京帝大仏文科を卒業後、音楽評論を自身のノートに書き始めたころから、演奏の印象雑記や好き嫌いに終始する当時の日本の音楽評論の打破を目指した。戦後「ロベルト・シューマン」などの評論で、音楽表現に論理的な視点を提出、文化論としても高い評価を得た。その後、新聞に批評を定期的に掲載、新聞の音楽評論が先導する日本の音楽文化の形態を作り上げた。新聞批評でも「評価する理由をはっきりさせなければ意味がないでしょう」と常に語っていた。


 ピアニストのグレン・グールドをいち早く評価するなど先駆的な評論は世界でも知られ、初来日公演を吉田さんに「ひび割れた骨董(こっとう)品」と批判された名ピアニストのホロビッツが「吉田を満足させる」と、再来日公演を決めたことも知られている。

 作家の丸谷才一さんの「文章読本」で現代の名文と評された詩情あふれる文体は、多くの称賛を集め、1975年には日本の音楽評論家として初めて全集が刊行され、大佛次郎賞を受賞。美術評論にも独自の視点の文化論を切り開き、92年には「マネの肖像」で読売文学賞を受賞した。

 実践的な音楽活動にも意欲的で、桐朋学園大で指導。「日本でヨーロッパ音楽をやることの意味を本質的に問える時期になった」と水戸室内管弦楽団を創設した。

 90歳を超えてから「僕の仕事をまとめようと思って」とドイツ・バイロイト音楽祭を訪れ、またエッセー集「永遠の故郷」を刊行するなど、最後まで現役の評論家として活躍した。【梅津時比古】 
最終更新:5月27日(日)20時20分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120527-00000034-mai-soci