杜甫1300年

今年は杜甫*1生誕1300周年。

4月27日付けの『東方早報』は6頁に亙って、


枕戈「重帰中国詩歌的風雅伝統」
田波瀾「杜甫研究専家劉明華談20世紀杜甫研究史:百年歌自苦、”万代”有知音」
莫礪鋒「杜甫的千年影響」
石剣峰「専訪復旦大学中文系教授、中国杜甫研究会理事陳尚君:”他的人生経歴的一個心霊史”」


という記事を掲載している。
劉明華氏へのインタヴュー記事から、中華人民共和国建国以降の杜甫解釈について;


(前略)従上世紀50年代開始、不僅僅是杜詩、大陸学者用馬克思理論、毛沢東思想来分析研究整個中国古代文学的作家和作品、受蘇俄文藝理論的影響、現実主義與人民性成了評価古典作家作品的両把尺子。当時写作出版的文学史教材直接反映出這様一種主流価値観和主流意識形態、凡是具有現実主義精神和人民性的作家、在文学史教材中会有比較高的地位、設有専章専節。
這種背景下、杜甫或其他作家在現実主義這様一種価値観的考量下来進入文学史或学術研究、這是可以理解的。杜甫確実也是関心民衆疾苦、関心国家命運、関心民族前途、所以我們現在講他”憂国憂民”、這一点無論哪個時代都没被否認。従宋到清再到現代、基本上歴代統治階級都肯定杜甫的、因為任何統治階級都標榜自己是”徳政”、因此它不会軽易去貶低一個為民衆呼吁的詩人。
建国以後、在新文藝思想下、以”現実主義”和”人民性”為標準来看杜甫杜甫得到更高的肯定、是当時学術思潮的一個正常反応。
中国大陸における杜甫解釈で注目に値するのは郭沫若郭沫若は1962年の「紀念杜甫誕生1250周年大会」で、杜甫を「愛国詩人」として賞賛した「詩歌史上的双子星座」という講演を行っているが、文革中の1971年に『李白杜甫』を出し、そこでは杜甫を「地主」としてdisっているが、劉氏はこれを「郭沫若整個学術著作中的一大敗筆」と評している。また文革末期の「評法批儒」の流れにおいて、杜甫は「一個尊儒的詩人」として批判の対象となった。
海外における杜甫

杜甫在欧美英語世界没有像在韓国、日本那様成為被専門研究的作家、可能対以英語為母語的人来説、杜詩很不好翻訳、読起来不方便、即使会中文要読懂杜甫原著也很困難。杜詩在欧美被翻訳的不多、而李白、王維、白居易寒山等的詩作被翻訳的就多一些。這裏有一個翻訳問題、誰的作品好翻訳、可能他的名気、影響会大一些。而訳者関注到誰、也有偶然性、寒山的詩在美国很流行、最能説明問題。
日本、韓国都有研究杜甫的大家、尤其是日本、有吉川幸次郎、黒川洋一等近五十年来持続研究杜甫、翻訳作品、在大学開課的頂級専家。在日本、早期是白居易的影響比杜甫大、因為白居易的詩比杜甫的好懂、但後来杜甫就慢慢熟起来了、差不多風靡日本、日本人対他崇拝得五体投地杜甫的作品他們有多種全訳本、選本也多、非常普及。
但し莫礪鋒氏によると、朝鮮では1481年に世界初の杜甫全訳本『杜氏諺解』が出ている*2
また莫礪鋒氏によれば、杜甫崇拝の歴史で重要なのは朱熹*3だということになる。朱熹は『朱子語類』にて「五君子」を挙げたが、その5人の「君子」とは諸葛亮杜甫顔真卿、韓愈、氾仲淹である。