「所有」と「交換」(モース)

承前*1

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

佐久間寛「経済 交換、所有、生産――『贈与論』と同時代の経済思想」(in モース研究会『マルセル・モースの世界』*2、pp.181-212)からの抜書きの続き。


わたしたちの経済は、物が商品として、つまり貨幣を媒介として交換される経済である。主な交換の場は市場である。そこでは、物だけでなく労働力や権利なども商品として売買される。売り手と買い手は、少しでも多くの利益が得られることを望む。私的な利益を追求する個人や企業による自由競争が経済活動を支える原動力であるともいわれる。いわゆる自由主義経済である。
一方、モースの描いた贈与交換の世界において、物は商品以上の何かである。それは人格を備え、人に力をおよぼす。人が物を交換するのは、そうすることを物に義務づけられているからである。こうした物のあり方が超自然的な霊や神の観念と結びついているばあい、そこから発せられたとみなされる命令は、人が発する命令以上の強制力さえもつ。それは経済を体系的に稼動させるだけの力をもちうるのである。
贈与交換と商品交換の相違は人と物の関係にかかわっている。その相違を解明する鍵は、所有である。
所有の問題は、『贈与論』では明示的に論じつくされていない。ただしその議論には、わたしたちが自明とみなしている所有観を相対化する視座が確実に含まれている。
市場経済では、いわゆる私的所有制(私有制)によって人と物の関係が規定される。財と労働力を所有する最小単位は個人とされ、人は物を所有する主体、物は人に所有される客体とされる。人が物を所有する権利は、「神聖で不可侵」(フランス人権宣言の表現)とされる。物を使用して、利益を得たり、処分したりする自由は所有者にのみある。他人はこの権利を侵害してはならない。商品交換がおこなわれると、所有権は完全に売り手から買い手に移る。売り手が売却された商品に所有権にもつことはありえない。
ところがモースがみいだした贈与の体系において、商品交換をささえる私的所有の前提はなりたたない。第一に、そこでは物が単なる物体ではない。物は、それ自体で人格や力をもち、人に自らを他の誰かへ贈与するよう働きかける。所有者のように見える人は、物を自由に使用・処分しうるどころか、物がいっとき身を寄せる場所のような何かに近い。第二に、人と物の関係は、人が物に対してもつ権利=所有権だけでなく、物が人に課す義務にも負っている。その義務を怠れば、物は人に災いをもたらすことさえある。だから人は物を独占することができず、他の誰かに贈与せざるをえない。第三に、物がある人から別の人に渡ったとしても、そこに権利の移転はともなわない。物は物自体の物であると同時に、代々それを保持してきた人々の物、これから保持するであろう人々の物でもある。(pp.191-193)
社会学と人類学 (1)

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