補足的メモ(レヴィ=ストロースなど)

承前*1

レヴィ=ストロースといえばやはり小田亮氏で、追悼のエントリーが書かれている;


http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628


その中心は(レヴィ=ストロースの)構造主義が「歴史や人間の創意を軽視したものだとか、人間を構造の檻に閉じ込めるものだとか言われた」ことに対する反論。そこから、「構造」と「体系」の違い、「構造」と「変換」について書かれた部分をちょっと引用してみる;


その「構造」という概念を理解するうえで重要なのが「変換」というアイディアである。レヴィ=ストロースのいう「構造」は、同じく要素と要素間の関係からなる体系(システム)とも違っている。体系は変換が可能ではなく、体系に手が加わるとばらばらになってしまうけれども、構造は、要素や要素間の関係が変換して別の体系に変化していっても、なお変わらない何かを指している。変換によって現われた新たな体系ともとの体系のあいだの関係が構造だといってもいい。つまり、構造は、変換を通じてはじめて現れる。別の変換をすればまた別の構造が出現するのである。それには始まりも終わりもない。

 このような構造という概念をみれば、構造主義が人間を構造の檻に閉じ込めたという言説が意味をなさないものだということがわかる。むしろ、レヴィ=ストロースは、変化しながら多様性を生成する構造の「連なりの場」へと人間を解き放ってくれたといったと言ったほうがいい。

 そして、この構造という見方からすれば、人間の創造力は「連なりの場」にあるものとしてとらえられる。「連なり」から切り離された個人の能動性に重きをおく西洋近代の価値観とは違って、それは、他人から与えられたものに、その他人の意図とは別の新たな様相を与えていくような創造性である。レヴィ=ストロースは、そのような人間の創造性を分析する手立てを、現在翻訳が刊行中の『神話論理』全4巻として遺してくれた。

詳しくは、氏の『レヴィ=ストロース入門』第2章を参照されたし。
レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)


銭学森*2の死亡記事@NYT;


MICHAEL WINES “Qian Xuesen, Father of China’s Space Program, Is Dead at 98” http://www.nytimes.com/2009/11/04/world/asia/04qian.html


銭学森の米国時代の業績、マッカーシズムによる迫害(追放されるかたちでの中国への帰国)に詳しい。