「コントロールの思想」(和田春樹)

90年代の選択―世界と日本をよむ

90年代の選択―世界と日本をよむ

和田春樹、佐和隆光、新藤宗幸「「社会主義」はどこへ行くのか」*1(in 佐和隆光、新藤宗幸編『90年代の選択 世界と日本を読む』、pp.227-253)から和田春樹氏の発言を少しメモ;


和田 マルクスの考え方では、資本主義は自由競争で、市場は統制されていないから、混乱つまり恐慌がくり返されるのに対して、社会主義は生産手段の社会的な所有をベースにして、完全に計画的に経済を運営するので、最も合理的に発展させていくことができる
というものだったと思います。
現実には、第一次世界大戦でドイツを中心にして行われた戦時統制経済が、単一のセンターから巨大な経済を動かすことが可能だということを初めて示したということで、レーニンは、ロシアは後進国で貧しいが、ロシアで革命権力が生まれれば、このドイツの経験を取り入れて単一のセンターから全経済を合理的に計算してやっていける、と考えたのです。
それがスターリンの計画経済にもなるわけですが、この考え方を極限まで進めれば、非常に有能なコンピューターができて、これを真ん中に据えつければすべての人間のあらゆる条件を取り入れてうまくやれる、ということになるかもしれません。
しかし、このように単一のセンターから経済を計画的にデザインできるという考え方の前提になっている人間観はいかがなものでしょうか。プラトン以来のユートピア主義者はいずれも人間の欲望をコントロールできるという思想でした。というのは、ユートピアは農業的社会だから、欲望をコントロールしなければユートピアになりません。それに対して、マルクスの場合は欲望のコントロールについては触れていませんが、人間の欲求と人間の行動を完全に理性的に計算できるという、啓蒙思想的な考え方が社会主義の基礎にあったと思います。(pp.237-238)
所謂「社会主義」の可能性と限界を考えるに当たっては、(例えば)伊藤誠市場経済社会主義』とかを(あくまでも批判的に)参照すべきか。
市場経済と社会主義 (これからの世界)

市場経済と社会主義 (これからの世界)

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080605/1212640212 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080808/1218179991