1986(メモ)

尊師麻原は我が弟子にあらず―オウム・サリン事件の深層をえぐる

尊師麻原は我が弟子にあらず―オウム・サリン事件の深層をえぐる

吉本隆明+プロジェクト猪『尊師麻原は我が弟子にあらず オウム・サリン事件の深層をえぐる』(徳間書店、1995)という本に収録された「全共闘おじさんオウム・サリン事件を語る」*1という座談会での松澤正博氏(元阿含宗広報室長、『アーガマ』編集長)の発言;


(前略)一九九五年のオウム真理教事件を捉え返すうえで、一九八六年、昭和六一年という年がとりわけ重要なんだよね。この年に、麻原がヒマラヤ山中において”最終解脱”を成就したとされ、大川隆法が「幸福の科学」をつくり、”高級霊界”から得たとされる霊言をまとめた『霊言集』を出し、活発な活動を始めている。
アイドルの岡田有希子が飛び降り自殺をし、その後に多くの若者が同じように飛び降り自殺をし、我が国の自殺者が戦後最大を記録したのもこの年なんだ(二万五千五百二十四人、警察庁調べ)。「宗教社会、家族社会、政治社会の社会的な統合が緩むと自殺者が増える」と、『自殺論』でデュルケームは述べているけれど、その説にしたがうと、一九八六年というのは、家族をはじめとするさまざまな共同体が大きく弛むと同時に、麻原や大川が本格的に出てきた年ということになる。(p.264)
この本には、吉本隆明の講演「より普遍的倫理へ」、エッセイ「産経新聞は間違っている」、また「全共闘おじさんオウム・サリン事件を語る」座談会へのリプライとしての「「全共闘おじさんオウム・サリン事件を語る」に応えて」が収録されている。さらに、島薗進先生の講演「新新宗教としてのオウム真理教」も。
最近、バブル崩壊直後というか1990年代前半の本を何故か読んでいる。宇沢先生の『二十世紀を超えて』*2もそうだし、佐和隆光『尊厳なき大国』*3もそう。今度はやはり放置していた内橋克人、奥村宏、佐高信編『日本会社原論3 会社人間の終焉』(岩波書店、1994)を読んでしまった。取り敢えず目次をメモしておく;

忠誠心を競うより、創造性を競え(城山三郎佐高信
会社人間の形成(熊沢誠
日本型人事の戦略(竹内洋
外圧型労使関係の形成と現在――一蓮托生の企業別組合中沢孝夫
会社こそ世界だ――社員寮建設の監視システム(宇波彰
昭和のサラリーマン、平成のカイシャイン(浅川純)
業績至上主義の犯罪(笹子勝哉)
一人の中に棲むさまざまなサラリーマン(高任和夫)
漂流する技術者たち(後藤正治
定年という出口から見た会社人間(加藤仁)
出世しても会社人間の人生はさびしい(野田正彰、奥村宏)
日本会社原論 (3) 会社人間の終焉

日本会社原論 (3) 会社人間の終焉

二十世紀を超えて

二十世紀を超えて

尊厳なき大国

尊厳なき大国