- 作者: T.S.エリオット,岩崎宗治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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T. S. エリオットの『荒地』(岩崎宗治訳)を先日読了。
この岩波文庫版には、「荒地」のほかに『プルーフロックその他の観察』(1917)から4篇、『詩集(一九二〇年)』から8篇の詩が収録されており、「荒地」に至るまでのエリオットの文学的軌跡を摑めるようになっている。『詩集(一九二〇年)』の中では、「荒地」との関係で特に重要なのは「スウィーニー」というキャラクターの登場ではないかと思った(「直立したスウィーニー」、「ナイチンゲールたちに囲まれたスウィーニー」)。また、特記すべきことは、本書では岩崎氏の翻訳文が130頁弱なのに対して、「訳注」、「解説」、「訳者あとがき」という岩崎氏のオリジナルの文章の分量が200頁近くあるということだろう。エリオットの訳書というよりは岩崎氏の著作といっていいのだが、本来訳書というのはこうあるべきなのだろう。極論してしまえば、英語を日本語に直すというのなら誰でもできるわけで、プロの翻訳者の役割というのは寧ろ訳註によってそのテクストが読まれるべき適切な文脈を読者に提示することであるかも知れない。英語を日本語に直しただけの訳書は、作品を英語で読んだ人(読める人)にとっては不要だろうが、詳細な訳註はそうした人にとっても読む価値がある。
以下、(エリオットの詩というよりは)岩崎氏の文章を中心にランダムにメモ書き。
この中で特に目を引いたのは「エミール・デュルケーム」という名。例えば『文芸批評論』*3で示されたエリオットの反浪漫主義=反個人主義とデュルケームの社会学主義は相性がいいのかも知れないと思ったのだが、これまでデュルケームを研究している人或いはデュルケームに詳しい人からデュルケームとエリオットとの関係について聞いたことはなかったのだ。Steven Lukesのデュルケーム伝はどう記述しているのだろうかと思ったのだが、その本は日本に置いたままで手許にはないのだった(orz)。
一九一〇年、パリに留学し、当時、新しい思想、哲学のるつぼであったこの都市で、エミール・デュルケーム(一八五八‐一九一七)、レミ・ド・グールモン(一八五八‐一九一五)*1、シャルル・モーラス(一八六八‐一九五二)*2を知るようになり、また、コレージュ・ド・フランスでのアンリ・ベルクソン(一八五九‐一九四一)の講義に深い影響を受けた。(「解説」、p.288)
- 作者: T.S.エリオット,矢本貞幹
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Emile Durkheim: His Life and Work
- 作者: Steven Lukes
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さらに興味深いのは、岩崎氏が「並置の美学」からエリオットの中道主義或いは保守主義を導き出していることである;
現代のキリスト教神学の一理論としての「並置の神学」を、コックスは、シュールリアリズムにおける「過激な並置」としてのコラージュと関連づけているのである。現代における伝統宗教の危機は、現実世界における現代人の経験と信仰の乖離にある、とコックスは見る。現代人が過去から継承した信仰と、信仰の表象である宗教儀礼とそのシンボルは、現実の情況と矛盾する。そこで「並置の神学」は。伝統的な信仰と現実世界の〈不連続〉に新しい経験と認識の機会を見、両者を〈衝突〉させ、そのあいだの創造的摩擦を最大限に増幅して、その「過激な並置」を通して「新しい意味もしくは反意味を創造」しようとする。
コックスのいう「並置の神学」は、芸術におけるコラージュの原理である「過激な並置」と並行する。そして、現代芸術におけるこの「過激な並置」こそ、『荒地』を一貫するエリオット詩の構成原理としてわれわれの認めるものである。『荒地』におけるエリオットの手法――異質なイメージとイメージを衝突させ、場面と場面を相互に浸透させ、引喩の中に字義的意味と含意と連想を重ね、こうした技法によって、過去と現在の汚辱と恐怖と栄光を並置し、「慣習的な意味を破壊し、新しい意味を創造する」手法――これこそまさにソンタグの言う「過激な並置」以外の何ものでもない。(pp.302-303)
ただ、エドマンド・ウィルソンは『アクセルの城』*6で、
『荒地』のエリオットは、文明の崩壊のヴィジョンを論理的関係を失ったイメージや非連続な場面の集積として、「過激な並置」の手法によって提示した。「並置の美学」とも呼びうるエリオットのこの詩法を「並置の神学」と併せて考えてみると、『荒地』の構成原理である「並置」は、同時にエリオットの信仰のありようとも関わっているのではないかと思われてくる。というのも、エリオットの考える信仰は、一つの教義への忠誠ではなく、つねに二つの原理の並置の緊張の中で、知性と感性のかぎりを傾けて真実を求めつづけることにあったと思えるからである。思い浮かぶのは、ランスロット・アンドルーズ(一五五五‐一六二六)*5の説教の文体を論じた文章の中で、エリオットが「エリザベス朝の英国国教会が、カトリック教会と長老派教会のあいだで中道を見出そうと努力しつづけたことは。当時の英国の最も優れた精神を示すものである」と述べて、英国国教会の「ヴィア・メディア」の精神を称揚したこと、また、ブレーズ・パスカル(一六二三‐一六六二)の『パンセ』を論じた文章で、魂の救済のために必要とされる「自由意志」と「恩寵」について、どちらか一方にかたよることは異端である、と強く主張していること、である。(pp.303-304)
と言っているけれど。
(前略)アングロ・カトリックへの改宗ということよりも、むしろ人間は罪深いものだという、どうしても祓い除けることのできない確信、つまりニューイングランド人の良心が、再び目覚めたということのようである。エリオットがマキャヴェリを讃美するのは、マキャヴェリが人間性の卑劣さを不変の事実として措定しているからである。エリオットは、経済の再編や政治の改革や生物学的・心理学的研究によらずひたすら「恩寵」によって救済の手を差し伸べる神学者たちに光明を求める。エリオットは、こんにちではどうやら「悪」を、匡正することも分析することも不可能な、ある種の究極的実在とみなしているらしい。彼の道徳原理は彼の宗教的神秘主義よりも強力で信頼できるものとわたしには思われる――そして彼のアングロ・カトリックとの関係は、いかにも取ってつけたように見える。彼がその詩と説教を大いに称賛し、また滋養分として大いに依存してもいるらしいイギリス十七世紀の聖職者たちは、記念碑的なその輪郭すらかすんでしまうような、もっと豊かな、もっと神秘的な、もっと重苦しいほどに濃密な雰囲気のなかに存在している。エリオット自身のほうがもっと堅苦しく、冷静で、熱心で、無情で、明晰である。彼には彼独特の上品さがあるが、俗にいう、唇の薄いところが少しある*7。彼の宗教伝統はボストンを経由して彼にまで達していたのである。(p.173)
- 作者: パスカル,前田陽一,由木康
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- 作者: エドマンド・ウィルソン,土岐恒二
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- 作者: アンドレブルトン,Andre Breton,巖谷國士
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言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の20世紀 (講談社現代新書)
- 作者: 塚原史
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ベルクソン的な「純粋持続」を過去と現在の「相互浸透」をコアとして理解することの是非については保留しておく。「純粋持続」は〈意識の流れ〉として、或いは意味的な秩序に掬い取られる以前の〈強度〉として理解すべきものだと思っていた。「相互浸透」はその効果である、と。私のベルクソン理解はシュッツのAufbau第2章の大きな影響を受けたものではあるが*8。
ところで、今エリオットの「伝統」論をベルクソンの『時間と自由』と並べてみると、ベルクソンの言う「純粋持続」としての意識――「われわれが音楽を思い出すとき、いわばその一つの音が互いに浸透し合うように、現在の状態と過去の状態が一つの有機的全体に統合される」持続――とエリオットの「歴史的感覚」のあいだには一つのアナロジーが見られる。つまり、エリオットはベルクソンの「純粋持続」の観念を文学の「歴史」に適用し、過去の文学作品が歴史の中で相互に浸透してつくり上げる「有機的全体」を想定し、これを「伝統」と呼んだのということである。エリオットの詩は、それまでのテニソンやスウィンバーンの詩とは違って、過去の作品からの引用や引喩を詩人の経験の中に取り込み、それらを衝突させ相互浸透させることで新しい意味をつくり出すものであったから、そうした引喩性の強い詩を彼は新しい詩として定義しておきたかったのである。エリオットの「伝統」論における「歴史的感覚」の主張は、エリオットの詩作品の正統性の主張と、同じコインの裏表の関係にあった。
だが、エリオットの詩論のめさしていることは、それだけにとどまらなかった。彼は、自分の詩概念を、前世紀から思想界で大きな力となっていた人類学と結びつけた。「伝統」論におけるベルクソン的「相互浸透」の観念は、エリオットの中で、フレイザーの『金枝篇』とつながっていた。(後略)(「訳注(『荒地』)」、pp.277-278)
- 作者: ベルクソン,Henri Bergson,中村文郎
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- 作者: フレイザー,永橋卓介
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- 作者: フレイザー,永橋卓介
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- 作者: フレイザー,永橋卓介
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- 作者: フレイザー,永橋卓介
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- 作者: フレイザー,永橋卓介
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- 作者: アルフレッド・シュッツ,佐藤嘉一
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*1:See http://blog.hix05.com/blog/2008/03/_remy_de_gourmont.html http://fr.wikipedia.org/wiki/Remy_de_Gourmont http://en.wikipedia.org/wiki/Remy_de_Gourmont
*2:See http://www.academie-francaise.fr/immortels/base/academiciens/fiche.asp?param=576 http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Maurras
*3:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070507/1178561806
*4:そもそもはアポリネールの措辞だが、そこからインスパイアされたパンタの「マーラーズ・パーラー」を喚起しておく。See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091211/1260533161
*5:See http://mariannedorman.homestead.com/Andrewes.html http://justus.anglican.org/resources/bio/252.html
*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110106/1294242349
*7:thin-lippedの用例は幾つかhttp://www.wordnik.com/words/thin-lippedに載ってはいるものの、よくわからない。
*8:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090410/1239330953