科学技術のロジックでは

承前*1


原発原子力専門家としてにわかに脚光を浴びた京都大学小出裕章氏だが、もちろん専門的な問題についての評価は保留するとして、自分が意外に思って感心したのは、小出氏が不倶戴天の敵である原発推進派に対して、「利権」「御用学者」的な批判を一切していないことだった。小出氏によると、原発政策の推進派学者が当初思い描いた通りの技術革新は起こらず、さらに「もんじゅ」などの想定外の事故が次々と起こり、色々な行き詰まりをなんとか弥縫しようと、プルサーマル原発などより危険なものに手を出しはじめて、様々な無理が生じて苦労を強いられているのだという。つまり原発推進派の専門家も、彼らなりの夢や使命感があったのだが、途中で行き詰り、しかし今更引き返すこともできなくなっている状況にあるというわけである。この説明は非常に説得力があると思うが、「利権」「御用学者」的な批判の文脈からは、こういう問題は全く見えてこない。利益につられて悪魔に魂を売ったという、馬鹿馬鹿しい話以上のものにならない。
http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110429
ここで要約されている小出裕章氏の主張は間違っているとは思わない。科学者・技術者にフォーカスする限りでそういうものなんだなと納得はできる。しかし、注意しなければいけないのは、科学技術はシステムとしての〈原発体制〉を構成するサブシステムのひとつにすぎないということだ。科学技術というシステムでは、政治、電力会社、官僚制といった他のサブシステムの振る舞いが参照され、それに協調したり・反発したりしながら、全体としての〈原発体制〉のサブシステムとして〈原発体制〉を作動させていくということになるのだろう。
さて、「電力会社や国は「安全神話」というのを一般人向けの広報戦略としただけではすまず、自分たちも半ば本気で信じていたのではないかと疑いたくなる」という指摘もメモしておく*2
所謂「原子力村」を理解するのに、新藤宗幸『技術官僚』は役に立つのかどうか。
技術官僚―その権力と病理 (岩波新書)

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