元祖

金平茂紀*1原発とテレビの危険な関係を直視しなければならない」『ジャーナリズム』2011年6月号http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201106090286.html


以下のことについて論じている;


 (1)今回の原発事故の重大性、深刻さをテレビは伝えることができたか? メディア自身にとって「想定外」だったことはないか? 当初の「レベル4」という原子力安全・保安院発表に追随するような「発表ジャーナリズム」に疑義を呈することができていたか?

 (2)事故について解説する専門家、識者、学者の選定に「推進派」寄りのバイアスがなかったか? その一方で「反対派」「批判派」に対して排除・忌避するようなバイアスがなかったかどうか?

 (3)原発からの距離によって描かれた同心円による区切り(原発から何キロ圏内)を設定してメディア取材の自主規制を行っていたことをどうみるか? さらに各メディアによって設けられた取材者の被ばく線量の基準は妥当だったかどうか? 一方で、線量計を持参して原発至近距離までの取材を試みたフリーランンスの取材者をどのように評価するか?

 (4)「風評被害」の発生について、テレビはどんな役割を果たしたのか? パニックの発生を恐れるあまり、過剰に安全性を強調することがなかったか? 安全性を主張する際にその根拠にまで遡及して報じていたか?

 (5)「国策」化していた原子力発電推進について、テレビが果たしてきた役割を検証する自省的視点があったかどうか? 電力会社の隠蔽体質や情報コントロールについて批判する視点が担保されていたかどうか? 

 (6)テレビにおける過去の原子力報道の歴史を共有できていたか? 原発を扱うことをタブー視する空気にどこまで抗してきたかどうか? スポンサーとしての電力会社を「相対化」する視点がしっかりと確保されていたかどうか?

 (7)テレビに限らず、企業メディアにおける科学部記者、専門記者の原子力発電に関する視点、立ち位置が批判的に検証されてきたことがあるか? 何よりもテレビにおいて、原発問題に関して専門記者が育成されてきたかどうか? 記者が推進側と「癒着」しているような構造はなかったかどうか?

ここで挙げられている事例は興味深いものであるが、それは省略。乱暴に纏めてしまえば、マス・メディア特にTVは所謂〈原子力村〉*2の一環を担ってきたのではないかという反省。最後に、大熊由紀子や岸田純之助*3の名前を出して、

本誌と同じ朝日新聞社から、僕がテレビ報道の仕事を始めた1977年に、ある本が発行された。『核燃料 探査から廃棄物処理まで』という本で、著者は朝日新聞科学部記者(当時)の大熊由紀子氏だ。先輩記者から「これはまあ教科書のような本だから一応目を通せ」と言われるほど影響力があった本だが、今、読み返すと、推進側に偏した内容がきわ立つ。

 《原子力発電所が、どれほど安全かという大づかみの感触には変わりはない。あすにでも大爆発を起こして、地元の人たちが死んでしまう、などとクヨクヨしたり、おどしたりするのは、大きな間違いである》《私は、原発廃絶を唱える多くの人たちが書いたものを読み、実際に会ってみて、彼らが核燃料のことや、放射線の人体への影響などについて、正確な知識を持ちあわせていないことに驚いた。多くの人たちが、アメリカの反原発のパンフレットや、その孫引きを読んだ程度の知識で原発廃絶を主張していた》。

 同じく元朝日新聞論説主幹の岸田純之助氏は、日本原子力文化振興財団の監事をされていらっしゃる。これらの人々に今、聞いてみたい。今回の福島原発の事故をどのように思っているのか、と。自分たちのかつての言説に対する責任をどのように感じているのか、と。

 その作業は、戦後まもなくの頃、吉本隆明らが行った知識人の「転向」研究と性格が似ているのかもしれない。だが、誰かがやらなければならない作業だと思う。なぜならば前項で記したように原発推進に異を唱えた人々は、ことごとく迫害され排除されてきた歴史があるからだ。

 私たちの国の歴史で、「戦争責任」がついにうやむやにされてきたように、「原発推進責任」についても同様の道筋をたどるのか。歴史はやはり繰り返すのだろうか。

と締め括られている。
吉本隆明*4の名前が挙がっている。軽く笑いがこみ上げてきたのは、吉本隆明こそ元祖・反〈反原発〉オヤジだったからだ*5。また、5月27日の『毎日新聞』に吉本隆明へのインタヴューが掲載されたらしいのだが、mainichi.jpでは既に削除されている*6。断片的に引用がなされている幾つかのエントリー*7を読んでみると、相変わらずだなという感じがする。吉本隆明というのは戦後の思想家では、あの丸山眞男以上に、ストレートというか一切のアイロニーなしの近代主義者だったわけだ*8。以前に書いたかも知れないが、1980年代に私が吉本隆明(というよりもそのフォロワー)に対して抱いていた違和感というのは、このポストモダンのご時世に吉本隆明はないだろというものだったのだが。ただ、今手許にある吉本批判としては、(些かピントの外れた)桜井哲夫によるもの(「〈幻想〉としての吉本隆明――『共同幻想論』再読」)くらいしかないのが残念。
思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)

思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)

ぶっちゃけ、知的な意味でいちばん問題なのは、柄谷行人が最近の『週刊読書人』のインタヴュー*9で語っているように、1980年代の「反原発」論がいまだに通用するということだろう。これは原発に関する技術が1980年代から今まで基本的には全然進歩していないということを意味する。
また、吉本は『毎日』で、

動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。
と語っているという。これに対して、柄谷行人

恐ろしいと思うのは、原子炉は廃炉にするといっても、別に無くなるわけじゃないということです。閉じ込めるための石棺だって壊れる。これから何万年も人類が面倒見ていかなければいけない。未来の人間がそれを見たら、なんと自分たちは呪われた存在か、と思うでしょうね。しかも、原子力発電を全廃しても、核廃棄物を始末するためだけに原子力について勉強をしないといけない。情けない学問ですが、誰かがやらざるをえないでしょう。しかし、いかなる必要と権利があって、20世紀後半の人間がそんなものを作ったのか。原発を作ることは企業にとってもうけになる。しかし、たかだか数十年間、資本の蓄積(増殖)が可能になるだけです。それ以後は、不用になる。不用になったからといって、廃棄できない、恐ろしい物です。誰でも、よく考えれば、そんな愚かなことはやりません。しかし、資本の下では、人は考えない。そこでは、個々の人間は主体ではなくて、駒のひとつにすぎません。東電の社長らを見ると、よくわかります。あんな連中に意志というほどのものがあるわけがない。「国家=資本」がやっているのです。個々人は、徹頭徹尾、その中で動いているだけですね。ただ、それに対して異議を唱えられるような個人でないと、生きているとは言えない。

一昔前に、人類学者が「ケータイをもった猿」という本を書きました。若い人たちがお互いに話すこともなく、うずくまってケータイに向かっている。猿山みたいな光景を僕もよく見かけました。たしかに、デモもできないようでは、猿ですね。しかし、ケータイを棄てる必要はない。ケータイをもったまま、直立して歩行すればいいわけです。つまり、デモをすればいい。実際、今若者はケータイをもって、たえず連絡しながら、デモをやっていますね。そういう意味で「進化」を感じます。
という発言を引いておく。正確に言えば、正高信男氏は「人類学者」ではなく霊長類学者ではあるけど。
ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)

吉本隆明に戻ると、1994年に核科学/技術について、「物質概念の革命的な変化とそに対応する社会史的な過程」というテクストを書いていることを知る*10。これを紹介した方は「原発問題」は「人間における全世界史過程の転換点における、存在論的問題なのである」と述べている。ただ、人間存在論的問題として〈核〉を考察したのは先ずハンナ・アレント(例えば”The Concept of History: Ancient and Modern”)*11であるが、吉本がアレントを超えているとはあまり考えられないけれど、どうなのだろうか。
Between Past and Future (Penguin Classics)

Between Past and Future (Penguin Classics)

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090810/1249921507

*2:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110424/1303669101

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110331/1301545326 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110619/1308481084 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110624/1308846110

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050705 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050819 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060227/1141008207 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060605/1149478230 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070105/1167974950 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080305/1204690984 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090213/1234550817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090322/1237741323 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091120/1258696685 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100130/1264834811 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110202/1296628031 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110212/1297527735

*5:例えば、黒古一夫氏の指摘。http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/e/d675d045f13acfa99b74b83a677d94d3

*6:Orz ただ、http://opinion-torinosato.blog.so-net.ne.jp/2011-06-11-1にスキャンした写真あり。

*7:http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/283.html http://blog.goo.ne.jp/ucandoittaku/e/191ab5e71d158bb745f504bf39749a9f http://opinion-torinosato.blog.so-net.ne.jp/2011-06-11-1 http://plaza.rakuten.co.jp/Wienerschnitzel/diary/201105280000/など。

*8:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110628/1309235147

*9:http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html

*10:http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20110516/1305554075

*11:Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110508/1304878987