「明治の付録」・「昭和の前座」など

石剣峰「通過日本視角、反観中国近代史」『東方早報』2011年3月8日
吉井忍「低迷時代《坂上之雲》鼓励了日本」『東方早報』2011年3月8日


NHKの『坂の上の雲』を多くの中国人がインターネット経由などで視聴しており、「巨大反響」を惹き起こしているのだという――「通過日本視角、反観自己国家的歴史」。「日本通過明治維新相継打敗両個身躯龐大的隣居大清和沙俄、走向国富民強、人民朝気蓬勃、而当時的普通中国人和統治階層依然愚昧頑固不化」。「日本当時正如火如荼地進行改革、中国王公貴族仍然養尊処優不思進取」等々。また、吉井忍という日本人が寄稿し、司馬遼太郎坂の上の雲』の背景を語っている。司馬遼太郎は生前『坂の上の雲』の「映像化」を悉く拒否していた。その理由のひとつは、映像化によって『坂の上の雲』が戦争賛美であると誤解されることを恐れていたことである。それから、『坂の上の雲』が『産経新聞』に連載される以前に日本人は殆ど秋山好古秋山真之兄弟を知らなかったのか。

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また、『上海書評』(2011年3月6日)には、劉檸「従”大正民主”到法西斯時代」(pp.3-4)という文章が掲載されている。司馬遼太郎の場合でも、彼の「開明的明治時期」と「黒暗的昭和時期」の対立という彼の歴史観が屡々議論の対象となっている。どうも一般の歴史観において、その間の「大正」というのは影が薄い。竹中労通俗的な「大正」イメージを「明治の付録のごとき、あるいは昭和の前座のような一時代」と表現している(『断影 大杉栄*1、p.13)。何故「大正」の影が薄くなったのか。竹中は以下のように断ずる;

それは、戦後民主主義よりも自由な時代が過去にあったということを、日本の知識人は禁忌としたからである。
とりわけて、「大正」の青春を呼吸しその自由を謳歌した世代、彼らは自由を奪う権力と闘わず、もしくは闘って敗れた昭和余年、獄中の非転向者をもふくめて、軍国主義下を生きのびた。そして敗戦、非転向者は胸を張り転向者は口をぬぐって民主主義をとなえ、占領支配の買弁となった。天皇制国家権力は実に強大であった、弾圧に抗するすべもなかったというレトリックで、”解放軍”から免罪符を手に入れ、民衆の指導者・戦後社会エスタブリッシュメントに復活したのである。
そこで彼らは「大正」をパンドラの筺に封じこめねばならなくなった。その時代、内外の危機に迫られて、天皇制国家権力は根幹から揺らいだ。しかもこれを撃つテロリストの群、絞首台に上ることをおそれぬ無政府主義者がいた。言うならば権力の逢魔ヶ刻、黄昏を迎えていたのは支配階級だった。「大正」は日本の革命運動にとって、もっとも高揚した時代であったのだ。(p.14)
断影 大杉栄 (ちくま文庫)

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