「分数ができない」ってそういうことだったのか

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110218/1298052067で引用した『週刊ポスト』の記事*1に、『分数ができない大学生』という本の著者である岡部恒治という方が登場している。この本は読んでいないのだが、この本が出た頃、周囲でちょっと話題になった。そのとき、はっきりいって、俺は「分数」がわからないってどういうことなのかわからなかったのだ。例えば、三人きょうだいにケーキを与えて、これを平等に分けろと命じて、その子どもがちゃんと平等にケーキを分けることができたら、彼/彼女は分数(1/3)の意味を理解している。「分数」がわからないっていうのはケーキを平等に分けることができないということなのか。そういう奴とは酒を飲みたくないな。正しく割り勘にすることができないということなのだから。或いは、分数を足し算・引き算するためには分母を揃える必要がある。「分数」がわからないっていうのは分母を揃えられない(公倍数を見つけることができない)っていうことなのか。木走さんが昨年の12月に書いたエントリーを偶々読んだ。その中で、「馬鹿な学生が増えている」ということで、次のように書かれている;


あるIT系専門学校の1年生の教室でIT基礎の授業中のことでした。

 20人ほどの小教室で私はちょっとした計算問題を出題して計算に格闘(?)している学生達の周りを一人一人まわって間違いなどを指導していました。

 そのとき一人の学生が解答を「1/2」と分数で記していたので、問題の意図から「この問題では小数に直してこたえなさい」と指導しました、そうしたら消しゴムで消した上でその学生はしばらく考えた後に、小数を書き込みました。

 「0.2」と。

 冗談ではなく実話です。

 大学・短大・専門学校で理数系の授業を持った方なら多くの人が経験していることと想像しますが、分数の計算もできない学生が高校を卒業して大量(少なくても例外的少数ではないと私は感じています)に本来なら専門教育を受けるべき大学や専門学校に入学しているのです。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20101205/1291525451

分数と小数を相互に換算することができないということだったのか。分数を小数に書き換えられないのなら、%に書き換えることもできないよね。新聞記事とかでも、例えば内閣支持率は何%だとか、%はふつうに出てくるわけだけど、その%も少なからぬ人にとっては意味不明の記号だということになる。
これを読んで、自分はどのようにして分数を小数や%に関連付けることを習得したのか、或いはどのようにして〈割合〉という概念を身に着けたのかと思い出してみようとしたのだが、思い出せなかった。ただ、その学習メカニズムについての心理学的研究はきっと出ている筈だ。それから、全く根拠がないのだが、「分数ができない大学生」が増えてきたというのはもしかして文化としての野球の衰退と関係あるのかしらとも思った。俺が子どもの頃、(男限定かも知れないが)多くの子どもは打率、特に首位打者争いに興味を持っていて、分数とか小数とか%もかなり直観的に理解していたと思うのだ。3割打者であり続けるためには毎試合最低でも3打数1安打をキープしなければならないとか。学校の教師が算数の授業で野球をネタにして説明していたということもあった。
九九がわからないということ。最初読んだときは吃驚したのだけれど、考えてみれば、現代では、電卓とかを使えば、九九がわからなくても複雑な掛け算をすることができるのだった。だから、半年くらい電卓(PCやケータイの電卓機能も含む)の使用を禁止すれば九九は身に着くよ。