仏蘭西語の勉強を!

週刊ポスト』で石原慎太郎が喚いているらしい;


同性愛の男が化粧品CM出演など世界でありえぬと石原都知事
2011.02.17 10:00


「日本人の劣化」に警鐘を鳴らしてきた石原慎太郎氏。それを食い止めるためにいま何をすべきなのか、大胆な提言をする。

 * * *
 自民党が野に下っていた1994年に、私は党の政策大綱案として「二十一世紀への橋」という論文を書いた。その中で、高校を卒業した年齢の子供は、1年間か2年間、軍隊か警察か消防に入る義務を課すべきだと記した。

 韓国には今も徴兵制があるが、その韓国の若者と日本の若者を比べてみればいい。人生に対する積極性がまるで違う。若者を救うためには、軍役に就かせるか、あるいは警察、消防、海外協力隊でもいいが、連帯作業の役務に就かせて修錬させる制度が効果的だ。

 携帯、テレビ、パソコンのバーチャルな対人関係によって、あまりにもひ弱になってしまった者たちには、意思に反して強いられる肉体的制約が必要なのです。

 同じように、人間社会の原理を幼い頃から子供たちに、頭ではなく体で刷り込むことも肝要だ。今さら教育勅語を復活させろとはいわないが、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ―」といった言葉は、いつの時代であっても否定し得ぬ原理です。子供の頃の良き刷り込みは、良き制約となって人生を支えてくれるものです。

 逆に、我欲を満たすための野放図な害毒は日本を駄目にする。必ずしも取り締まればいいわけではないが、諸外国では目にしないようなものが、メディアにもインターネットにも横行しているようでは、やはりおかしいといわざるを得ない。

 差別でいうわけではないが、同性愛の男性が女装して、婦人用化粧品のコマーシャルに出てくるような社会は、キリスト教社会でもイスラム教社会でもあり得ない。日本だけがあってもいいという考え方はできない。

週刊ポスト2011年2月25日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110217_12830.html

まあきょうびの右的なオヤジ(若者もそうか)の典型的な言説ということで、あまり新鮮味はないのだが、幾つかコメント。先ず*1

差別でいうわけではないが、同性愛の男性が女装して、婦人用化粧品のコマーシャルに出てくるような社会は、キリスト教社会でもイスラム教社会でもあり得ない。日本だけがあってもいいという考え方はできない。
(日本にいないので)「婦人用化粧品のコマーシャル」がどういうものだかわからないのだが、日本は(統計学的に言って)「キリスト教社会でもイスラム教社会でも」ないよ。勿論、マイノリティとしてのクリスチャンやムスリムの人権は守られなければならないけれど*2。また、「女装」を否定するということは歌舞伎を否定することだし、「同性愛」まで否定すると、それはもう武士道まで否定してしまうということになる*3。そして、課題図書として氏家幹人『武士道とエロス』を再度挙げておく。
武士道とエロス (講談社現代新書)

武士道とエロス (講談社現代新書)

さて、私も(石原とは些か違う意味だが)「意思に反して強いられる」「制約」というのは重要だと思う。別に「肉体的」でなくてもいいけど。特に「寛容」な人格*4を養うためには。これについては、後日詳細に書きたいけれど、ここでは「意思に反して強いられる」「制約」を経験する最も簡単な方法(のひとつ)は外国語の学習だと言っておきたい。特に、石原慎太郎が数の数え方までわからなくなってしまうという深刻な体験をした仏蘭西*5とかは最適だろう。
ところで、大学生学力バッシング記事が載っていた。こういうネタというのは、ちゃんとした統計数字とか原因の推論とかを見せてくれなければ、常に半分(個別的事例としては)ほんとうで半分(一般論としては)嘘であり続ける。まあ、俺は九九ができるぜとか俺はアルファベットがわかるぜとか思いながら、〈自分が馬鹿ではない〉ことを確認したい人にはどうでもいいのかも知れないが。

底辺大学生 九九できない・アルファベットわからない
2011.02.15 10:00


 大学への進学率が上がる一方で、底辺校といわれる大学では、学力の低い学生の存在に頭を悩ませている。千葉のある工業系大学で基礎数学の授業を受け持つ講師がいう。

微分積分など、高校レベルの学力がない程度ならばまだマシな方です。一次関数までレベルを下げてもまだ理解できない学生が多かったので、ひょっとしたらと思って九九の計算を解かせてみたんですが、全問正解したのは半数以下で仰天しましたよ」

 こんな学生を、エンジニアとして就職させるのは不可能だ。埼玉大学教授の岡部恒治氏はこう語る。

「私が『分数ができない大学生』という著作を出してから10年が経ちますが、大学生の学力は当時よりもひどくなっている。現在、大学の半数以上は、正規の授業やゼミとは別に、小学生から高校生レベルの国語、数学などの補習授業を行ない、学び直させているんです」
 
 埼玉の某大学で英語を教える講師はこう打ち明ける。

「ウチの大学では、中学1年生が最初に教わるI、MY、ME、YOU、YOUR、YOUといった人称代名詞から学び直しています。アルファベットの順番がわからず、辞書すらまともに引けない学生が多いですから仕方がない」

 ついには、小学校の「国語」さえまともにできない大学生も出現している。中国地方の某大学では、学生と教員の間で「交換日記」をつけているという。学生は、「つまらなかった」程度しか書けない。そこで教員は、「いつ、どこで、何があって、どのように、つまらないのかを書かないと伝わらないよ」と、5W1Hを教えるところから始めている。

 学力低下を嘆いているのは、“最底辺”の大学だけではない。名門・早稲田大学では「1万人シリーズ」と銘打ち、同大に入学する新入生約1万人に対し、インターネットを使ったリメディアル教育(補習授業)を施している。

 科目は、日本語、数学、英語の3つ。例えば日本語の授業では、レポートの文献の引用の仕方について「書物に書かれている内容と自分の考えの区別が分かるように書く」といった基本的な事項を教えたり、毎週400字程度の作文を課して、クラス指導員がコメントと評価点をつけて返却したりしている。

週刊ポスト2011年2月25号
http://www.news-postseven.com/archives/20110215_12738.html