「教員の好み」でいいんじゃないの、ほか

「大学の授業での飲食禁止について」http://d.hatena.ne.jp/next49/20110714/p1


曰く、


授業の一回目で授業のマナーとして私が説明するのは以下の事柄。

飲み物はOK(においの強いものはだめ)
食べ物はダメ
帽子はダメ
私語はダメ
途中退席には白い目(授業がわからなくて単位落とすのは自業自得)
遅刻には白い目(授業がわからなくて単位落とすのは自業自得)
内職には白い目(授業がわからなくて単位落とすのは自業自得)

まあそういうもんなんだろうなと思った。ただ「帽子」については微妙だけど。それから、「においの強い」「飲み物」って何? それよりも、このエントリーを書いた本人を初めとして、みんな賛成か反対かを(それぞれもっともらしい根拠を持ち出して)真剣に議論しているということの方に笑いを禁じ得なかった。この方もコメント欄で書いているように、「教員の好み」ってことでいいんじゃないのか。つまり、「教員の好み」によって「飲食禁止」の授業もあればOKの授業もあるということで。授業中の「飲食」の是非について学則に統一的な基準が明記されるというようなあれば、それはとても滑稽&恐ろしいことだ。そういえば、数年前にクラシック音楽のコンサートにおける「マナー」問題についてちょっとした論争が起きていた*1

さて、大学(大学生)関連のネタとして、


濱口桂一郎*2「ノンエリート大学生をめぐる認識ギャップ」http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-1d68.html


『職場の人権』という雑誌に載った居神浩「最低の就職内定率の中で、ノンエリート大学生問題を考える」という報告に付せられた質疑応答の抜粋。居神さんという方は「神戸国際大学」という大学の「経済学部」の教員であるようだ。読んでいて、不謹慎ながらくすくすと笑ってしまう。居神氏、質問に答えて曰く、


(前略)まずは新聞のことですが、学生に「家で新聞を取っている?」と聞くと、「とっていない」と答える学生がすごく多いですよね。・・・まずは図書館に連れて行って、新聞というのはこういうのがあるんだと。これが朝日新聞、これが毎日新聞、これが読売新聞、そしてちょっと難しい日経新聞というのがあるよと。まずここからスタートなんです。

本でもそうです。新書と文庫の区別がついていませんから、新潮文庫岩波文庫といわれてもなかなか分からないので、とりあえず文庫本のコーナーに連れて行く。・・・

そうすると、経済原論がどのような形になるかはかなり察しがつくかと思いますけど、ちょっと前は「経済学入門」というふうに言っていました。もう「学」はとりました。体系的なマクロ・ミクロなんていうのは外して、まさに新聞に出てくる経済用語を理解したらいいねということです。マクロ経済学ミクロ経済学という講義は当然あるんです。経済学部ですから。今年、私もミクロ経済学を担当しました。いかに数学を使わないでミクロ経済学をやるか、足し算、引き算、かけ算、割り算でできるミクロ経済学をやる。これはなかなかしんどいんですけれども、需要曲線、供給曲線が出てこないミクロ経済学をやるという、これはまさに大学教員のスキルが問われるところです。・・・

「新書と文庫の区別」って、それはサイズの違いでしょとは思うのだが。これは(コメント欄にあったような)インターネット時代においては紙の新聞を読む人が減っているという話ではなく、読書というよりも文字を読むという習慣を持つ人が家族を初めとする身近な集団の中におらず、そのような習慣を身に着けることなく大学生になっちゃった人が少なからずいるという話だろう。つまり、文化資本と学力との関係ということなのだが*3、濱口氏は「認識ギャップ」の現われとして、問答を引用している。つまり、質問する側には実態はまさかそんなにひどくはないだろうという「認識」の不足があると。なお、「足し算、引き算、かけ算、割り算でできるミクロ経済学」、「需要曲線、供給曲線が出てこないミクロ経済学」、本になるだったら私も読みたい。
また、「コピペ」問題を巡って;

それからコピペ問題。これはおそらく、大学の偏差値を問わず、コピペ問題はすべての大学で直面している問題かと思います。いかにコピペをさせないかというふうなところでの教育力が問われているんですが、我々の大学で問題になっているのは、コピペができない。レポートを書かせた場合、どこをコピペしていいかよく分からないということですね。コピペすらできないというレベルに達していますので、・・・
一瞬驚くけれど、「コピペすらできない」というのは文字を読むという習慣がないということの帰結と考えればまあ驚くには全く当たらない。ところで、以前にも書いたが、「コピペ」問題というのは実は文献を引用する仕方、註の打ち方というお作法を知らないという問題だと思っているけれど、どうなのだろうか*4