狩猟についての3つのテクスト

承前*1

Via http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/9853149.html


田口洋美マタギ―日本列島における農業の拡大と狩猟の歩み―」『地学雑誌』113-2、2004、pp.191-202
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf113-2/p191-202.pdf
田口洋美「東北の山々とマタギの界隈」(2006)http://gs.tuad.ac.jp/tohoku-hukei/index.php?cID=10
根崎光男「近世農民の害鳥獣駆除と鳥獣観」『人間環境論集』(法政大学)1-2、2001、pp.1-12
http://rose.lib.hosei.ac.jp/dspace/bitstream/10114/1342/1/ning_1(2)_nezaki.pdf


田口洋美マタギ―日本列島における農業の拡大と狩猟の歩み―」で興味深かったのは、農業の論理と狩猟の論理が根柢的に対立しながらも相互補完的なものであったことを指摘していること。また、近代における狩猟にはその社会的組織化においても獲物の市場としても「軍」が大きく関わっていること。また、我が田舎である信州「秋山郷」の話も出てくる*2。根崎光男氏のテクストは江戸周辺(関東地方)を扱っていて興味深い。
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/9853149.htmlについていえば、津軽藩アイヌがいたのは知っていたが、南部藩にもいたことは知らなかった。
日本人の動物との関わりについては、根崎氏も援用している塚本学『生類をめぐる政治』*3を取り敢えずマークしておくべきだろう。また、江戸時代において鉄砲が「農具」と見なされていたことに関しては、藤木久志『刀狩り』*4をマークしておく。ところで、藤木氏によれば、江戸時代において農民も一揆などでは鉄砲で武装することはせず、幕藩権力の側も一揆を鉄砲で弾圧することはなかったという。狩猟の話から逸れてしまうが、国定忠治*5などの幕末のやくざ集団が凄いのは、そういったコンセンサスを反故にして、自らを幕藩体制と拮抗する〈暴力装置〉として構成したところにあるといえるのだろう。

生類をめぐる政治―元禄のフォークロア (平凡社ライブラリー)

生類をめぐる政治―元禄のフォークロア (平凡社ライブラリー)

刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

里山」の話が出てくる。〈人為〉と〈自然〉を安易に対立させるというのは、環境社会学における「生活環境主義*6の提唱以後もまだあるんだね。「生活環境主義」については、 鳥越皓之編『環境問題の社会理論』を取り敢えずマークしておく。また、自然との関係としての〈生業〉の衰退と関係ありか。〈生業〉については、鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』とか。
環境問題の社会理論―生活環境主義の立場から

環境問題の社会理論―生活環境主義の立場から

自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク (ちくま新書)

自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク (ちくま新書)