歴史意識の問題

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20101128/1290913034


某人がブックマークしていたので読んだのだが、読むほどにむかついてきた。何故むかついたのかちょっと考えたのだが、それは先ずこいつの歴史意識の欠如に対してだったのだ。ナンシー関が「横浜銀蠅的なもの」と呼んだのは「ヤンキー」*1であって「不良」ではない。具体的に言えば、この間違いにむかついた。勿論、記憶間違いというのは誰にでもある。ただ、「ヤンキー」と「不良」と取り違えるというのは誰にでもあり得る記憶違いとはレヴェルを異にするのではないかと思った。「不良」は超歴史的カテゴリーで、「ヤンキー」は歴史的カテゴリー。勿論、「不良」も歴史的状況に応じて、その時代や社会特有の意味を帯びてしまうということはある(Cf. 桜井哲夫『不良少年』*2)。しかし、「不良」は〈よくない〉ということであり、古代中国にも中世ヨーロッパにも「不良」はいた筈なのだが、「ヤンキー」は現代日本にしかいない。そういうことだ。

不良少年 (ちくま新書)

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ところで、長渕剛だけれど、「ヤンキー」と結び付けられて語られたことというのはあったのだろうか。俺は知らない。たしかに〈マッチョ〉ではあるが。その〈マッチョ〉だが、彼が鹿児島生まれということで、ああ九州人ねとステレオタイプ的というかオリエンタリズム的に理解していたこともあったのだが、何時だったか、北野武が長渕は若い頃から自分は〈軟弱〉だという劣等感があって、その反動で、例えばADをぶん殴ったりとか〈マッチョ〉な振る舞いをこれ見よがしにしているのだと言っていたことがあった。また、矢沢永吉は(どなたかも指摘していたように*3)、1980年代前半に突如西海岸風にイメージ・チェンジしたのだが、エーちゃんをフォローしていた「ヤンキー」の人たちのカルチャー・ショックはどういうものだったのか。これも聴いてみたいものだ。
さて、「横浜銀蝿」だが、今から考えると、メンバーは全員大学を卒業または中退しているのであって、たしかに体育会的なノリはあったけれど、シミュレーションとしての「ヤンキー」だった可能性はある。「氣志團*4の先駆けだった可能性もある。
「かっこいい」についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090702/1246541132でも言及している。