http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-45fb.html
既に8月に書かれたものであるが、児童虐待問題を巡るリバタリアン的見解、蔵研也「児童保護警察(NPO)が必要だ」*1、anacap「子供売買を合法化しよう」*2及び松尾隆佑によるまとめ*3を巡って。
ここでは、濱口
蔵氏は児童保護警察NPOと警察の分割・民営化を唱えるのですが、松尾さんの批判するように、あまりにも多くの社会的不利益をもたらすことが明らかだし、そもそもなぜそんなことに血道を上げなければならないかがリバタリアン思想からしていっこうに明らかではない。そもそも、「児童虐待」なる現象がなぜ「問題」であるのかという根本のところで、リバタリアンたる立場がきちんと意識されていないように思われます。もし「虐待」されている「児童」がかわいそうなどという愚劣にもコミュニタリアンな発想でものを考えているとしたら、それこそリバタリアンの風上にも置けないのでは?
それに対して、anacap氏の「子供(の親権)売買」という処方箋は、出発点からしてリバタリアン的です。つまり、「児童虐待」とは、当該児童が将来多くの収益を親にもたらすであろうとか、当該児童を養育すること自体が親にとって高い効用を与える快楽的行為であるといった正の効用が、当該児童養育にかかるコストを大幅に下回ることによって発生する現象であり、これを解決するためには、当該児童の養育の効用が高い者に当該児童の養育権を譲渡させることが有効であるという、まことに経済理論に則った解決策であるからです。ここには妙なコミュニタリアンな発想のしっぽはくっついていません。まことにすっきりとしています。
問題は、松尾さんのエントリにも指摘されているように、「児童養育」の高い効用ではなく、「児童への性的行為」の高い効用を求めて当該児童の養育権を購入しようという人間が多数続出する可能性ですが、リバタリアン的発想を徹底すれば、それのどこが悪い、ということになるのでしょう。すくなくとも、「効用が乏しい」ゆえに実の親に虐待されることに比べれば、(性的)「効用が高い」ゆえに他人に愛好されることはよりパレート最適であるから望ましいと平然と断言するのが、リバタリアンの鑑と言うべきでありましょう。
日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書)
- 作者: 菊池理夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/01/19
- メディア: 新書
- 購入: 6人 クリック: 81回
- この商品を含むブログ (35件) を見る
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070713/1184301731
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080208/1202446852 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080612/1213243483 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081110/1226300198 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100329/1269840594 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100913/1284394468で言及している。
リバタリアンについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060216/1140096638 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070321/1174455126 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070327/1175006715 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080612/1213237956 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090223/1235362566 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100329/1269840594 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100423/1271989192 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101018/1287421121 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101025/1287988331
リバタリアンの「家族」特に「親子関係」に関する見解は、森村進『自由はどこまで可能か』第5章「家族と親子」を、リバタリアニズムと市場原理主義を同一視することに対する反論としては、同書のp.105ff.をマークしておく。ただ、上で挙げられた蔵研也氏などはリバタリアンの中でも「無政府資本主義」を自称する人々なので、森村氏の見解とは多分一致しないだろう。
自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)
- 作者: 森村進
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/02/20
- メディア: 新書
- 購入: 18人 クリック: 330回
- この商品を含むブログ (90件) を見る
*1:http://c4lj.com/archives/623332.html
*2:http://c4lj.com/archives/646514.html
*3:http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20100828/p1
*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091026/1256574276
*5:See eg. http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060905#c1157503322 Also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060909/1157778917 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060919/1158671904
*6:http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100810-02-1401.html