デューイと熊本?

石剣峰「杜威対中国有更深切的参与思想」『東方早報』2010年10月26日
章雲華「胡適邀請杜威来華始末」『東方早報』2010年10月26日


全38巻の『ジョン・デューイ全集』が華東師範大学出版社から刊行されるというニュースなのだが、記事の中では当然デューイの中国滞在のことが言及されている。デューイは1919年4月30日に上海に到着したが、最初は講演をこなした後で帰国するつもりだったのが、到着3日後に「五四運動」が勃発するという状況の下、結局中国滞在は2年以上に及び、1921年7月11日に中国を離れた。章雲華の記事によると、デューイは日本滞在中に当時北京大学教授だった胡適招請状を受け取り、また当時やはり日本に滞在していた北京大学の蒋夢麟と南京高等師範学校校長の郭秉文がデューイ夫妻を直接訪ね、訪中を要請した。さて、デューイ夫妻は1919年4月27日に「熊本港」で「熊野丸」に乗り込み、上海へ向かったという。横浜でも神戸でも長崎でもなく、何故熊本だったのか。熊本に何か用事があったのか。
また、5月12日にデューイは上海で孫中山と会談している。
なお、同時期(1920年10月12日〜1921年7月11日)にバートランド・ラッセルも中国に滞在していた。