諧調か乱調か、など

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100820/1282306027で参照したhttp://d.hatena.ne.jp/dlit/20080901/1220297853は元々岩崎夏海(笑)*1の某エントリーに応答したものである*2。この中で岩崎は、翻訳家の柳瀬尚紀氏を「日本語について誰よりも詳しい人」として持ち上げている。そして曰く、


柳瀬尚紀は「オーセンティック(authentic)」というのをとても気にする。「オーセンティックであるべきだ」とよく言う。そしてオーセンティックでない言葉については、いちゃもんをつける

この人の有名な「日本語の乱れ」へのいちゃもんに、かつて将棋棋士羽生善治が七冠を獲得した時のことがある。この時は、マスコミ各社が「七冠」のことをそろって「ななかん」と読んだ。これに対し、柳瀬尚紀は最後まで(そして今でも)「正しいのは『しちかん』だ」と異論を唱えていた。そうしてことあるごとに、これに改めるようマスコミに申し入れていた。

柳瀬尚紀がそういうことを言っていたということは知らなかった。しかし、何故柳瀬氏がそう言ったのかということは(柳瀬氏に共感するかしないかは別として)わかりやすい。柳瀬氏は重箱読み湯桶読み見苦しい聞苦しいと思っているのだ(「七冠」を「ななかん」と読むのは湯桶読み)。これとは違うけれど、俺も以前、呉音と漢音を混ぜて読むのは変だと書いたことがある*3。また俺にとっては、レッド・ツェッペリンというロック・バンドは存在しない。それはともかくとして、(共感するかしないかは別として)柳瀬尚紀の判断は(また俺の好き嫌いも)シンプルなルールの適用にすぎない。それをあたかも超能力か何かのように語ってしまう知性ってどうよ、とは思った。
岩崎はさらに、「日本語の正しさというのは、その成り立ちや使われてきた文脈に加え、「美しさ」というのが大きく関与していると思う」という。この妥当性については言わない*4。というか、それ以前に「美しさ」というのが曲者だからだ。美は諧調にあるのか、それとも乱調にあるのか。上のパラグラフで挙げたことどもはどれも乱調を避け、諧調を求めることに関っている。美は諧調にありというわけだ。その一方で、美は乱調にありという意見もありうる。凡庸な世俗的規範である諧調から逸脱しているからこそ美しい、と*5。諧調/乱調というのは根柢的に対立するものであるかのように一瞬思えるが、同時に(そうであるが故に)相補的なものでもある。だからこそ、基本的に諧調の人であろうブライアン・イーノと乱調の人であるロバート・フリップとの長期的なコラボレーションも可能になったとも言える。当たり前かも知れないが、或る1人の個人(例えば俺)もその時々の気分等々に左右されて、諧調を指向する場合もあれば乱調を指向志向する場合もある(さらに、同時に2つを指向してしまうということだってあり得る)。また、或る表現が諧調であり、同時に乱調だということだって現にあるのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100819/1282184464で、スザンヌ・ヴェガの”Gypsy”という曲に言及したのだが、その中に、

The arranger of disorder
With your strange and simple rules
というフレーズがある。前半の”The arranger of disorder”に注目すれば、「無秩序(disorder)」に秩序を与えること、つまり諧調への指向ということになるが、”your strange and simple rules”の特にstrangeという形容詞に乱調への指向を嗅ぎ付ける人もいるかも知れない。スザンヌ・ヴェガにおいて乱調としての美が満開な歌詞としては、”Cracking”。例えば、最後のヴァースの

The sun
Is blinding
Dizzy golden, dancing green
Through the park in the afternoon
Wondering where the hell
I have been
Ah...
http://www.azlyrics.com/lyrics/suzannevega/cracking.html
言いたいのは、「美しいものこそ正しいのだ」*6というのは、そもそも「美しさ」が多義的であるが故に決定不能だというstrange and simpleなことだったのだ。
Vol. 1-Close-Up: Love Songs

Vol. 1-Close-Up: Love Songs

Solitude Standing

Solitude Standing

Suzanne Vega

Suzanne Vega

そういえば、大杉栄のことを最初に知ったのは、瀬戸内晴美歴史小説『美は乱調にあり』だったな。
美は乱調にあり (角川文庫)

美は乱調にあり (角川文庫)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080725/1216998184 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080924/1222271516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081011/1223653894 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090113/1231812154 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091128/1259380124 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100208/1265568381

*2:http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080901/1220256430

*3:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070908/1189223804

*4:まあhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100708/1278608641でも述べたように、「美しさ」と「正しさ」を同じ準位で語ってはいけない。「美しさ」によって「正しさ」を正当化することはできないし、その逆もまた不可能である。ここでは、この問題について、一時的に眼を瞑る。

*5:諧調か乱調かは客観的に数値として或る程度は示すことが出来るだろう。例えば、複雑性の度合いとか。勿論、それを「美しさ」として判断するかどうかということとは別問題だ。

*6:http://d.hatena.ne.jp/skylab13/20080924/1222274436