空念とアイヌ語

毎日新聞』の記事;


アイヌ語:日本語の対訳を記録した古文書 福井で発見

 江戸中期に全国を行脚した越前出身の僧侶・空念が、1704(宝永元)年に蝦夷(北海道)でアイヌ語と日本語の対訳を記録した古文書が、福井市南山町の普門寺で見つかった。記録年が明らかなアイヌ語集としては国内最古。研究者は「語数が豊富で、内容も幅広い。アイヌ語の古い史料はほとんど現存しておらず、一級の史料だ」としている。

 古文書は約150ページのうち26ページでアイヌ語を紹介。「春ハ はいかる」「夏ハ さく」など季節の言葉のほか、「雲ヲハ にしくろ」「星ヲハ のちう」など気象に関する言葉、物の数え方、家族関係を示す言葉など約460語句が記されている。末尾に「拙僧が島々を回って聞き覚えた蝦夷言葉を記す」と書かれ、「宝永元年」の年号と署名もあった。

 大分県宇佐市極楽寺住職、国東(くにさき)利行さん(83)が、空念ゆかりの記録をたどって発見。古文書は火災で周縁が焦げるなど損傷が激しいが、文字は読める状態だった。

 北海道大の佐藤知己教授(言語学)によると、現存する最古のアイヌ語集は、約150語句を収録する「松前ノ言(こと)」で、室町末期から江戸初期に記されたとされるが、正確な記録年ははっきりしていない。佐藤教授は「現在は解読不可能なアイヌ語の古い形を反映しており貴重な史料だ。相手の呼び方などに敬語表現もあり、興味深い」と話している。【安藤大介】

毎日新聞 2010年8月3日 23時50分(最終更新 8月4日 1時15分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100804k0000m040115000c.html

この空念という僧侶がどのような方なのかを探って、今年の4月の『京都新聞』の記事に行き当たる;

京の僧侶・空念、民衆の毛髪で涅槃図
成願寺で名古屋の研究員確認


 江戸時代前期、全国で民衆の髪の毛を集めて、曼荼羅(まんだら)や涅槃(ねはん)図を刺しゅうした京都の僧侶空念について、名古屋市立大研究員の日沖敦子さん(31)=名古屋市=が3年がかりで調べ、著書にまとめた。現存が確認できた5幅のうち京都に残る2幅を紹介し、あつい信心を集めた僧侶の足跡を伝えている。

 日沖さんは室町から江戸前期にかけての文芸が専門。2006年秋、京都市左京区知恩寺であった古本市を訪れた。大分県の寺が所蔵する曼荼羅を載せたはがきに、空念が8万4千人から毛髪を集めて縫ったとの説明があった。仏画の一部に毛髪を使う例はあるが、全体を刺しゅうした珍しさに引かれ、調べ始めた。

 青森県の寺に残る文書などから、空念は現在の伏見区榎町周辺にあった浄土宗大樹院の僧侶で、全国を歩き続けて各地の寺に仏画69幅を奉納したことが分かった。多いところでは12万人もの毛髪を集め、穀物を断つ苦行をしながら縫い上げた。

 現存するか確認すると、焼失したり寺が途絶えたケースが多かったが、京都市上京区の成願寺に涅槃図が残り、下京区の荘巌寺には、仏画から阿弥陀(あみだ)如来の部分だけを切り取って保存されていることを突き止めた。

 成願寺の涅槃図は1678(延宝6)年の制作で、縦170センチ、横84センチ。釈迦の頭部の螺髪(らほつ)や沙羅双樹(さらそうじゅ)の幹が黒髪でくっきりと浮かび上がり、動物も細密に描かれている。

 藤井幹也住職(47)は、日沖さんの問い合わせを受けて数十年ぶりに目にした。「これだけの髪の毛をいただけるほど、信用があったことが素晴らしい」と敬意を示す。

 日沖さんは「空念はこれまで注目されなかったが、民衆に寄り添って仏画を縫った僧侶の存在を広く知ってもらい、各地で曼荼羅や涅槃図の価値が見直してもらえればうれしい」と話している。著書「毛髪で縫った曼荼羅−漂泊僧空念の物語」(新典社選書)は1575円。

【 2010年04月21日 15時49分 】
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100421000094&genre=J1&area=K00