塩川伸明『民族とネイション』など

承前*1

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

先日、塩川伸明『民族とネイション』を読了。少しメモをしておく。

はじめに


第I章 概念と用語法――一つの整理の試み
1 エスニシティ・民族・国民
2 さまざまな「ネイション」観――「民族」と「国民」
3 ナショナリズム
4 「民族問題」の捉え方

第II章 「国民国家」の登場
1 ヨーロッパ――原型の誕生
2 帝国の再編と諸民族
3 新大陸――新しいネイションの形
4 東アジア――西洋の衝撃の中で

第III章 民族自決論とその帰結――世界戦争の衝撃の中で
1 ナショナリズムの世界的広がり
2 戦間期の中東欧
3 実験国家ソ連
4 植民地の独立――第二次世界大戦後(1)
5 「自立型」社会主義の模索――第二次世界大戦後(2)

第IV章 冷戦後の世界
1 新たな問題状況――グローバル化・ボーダーレス化の中で
2 再度の民族自決
3 歴史問題の再燃

第V章 難問としてのナショナリズム
1 評価の微妙さ
2 シヴィックナショナリズム
3 ナショナリズムを飼いならせるか


あとがき
読書案内

本書は塩川氏による「ナショナリズム」問題の概説書といえる。その特徴のひとつは、塩川氏が蘇聯(露西亜)史の専門家であるので、蘇聯(露西亜)と中東欧への言及が詳しいということだろう。「あとがき」に曰く、

私自身に最も近しい、いわば「ホームグラウンド」は、ロシア・旧ソ連諸国である。ベネディクト・アンダーソンインドネシアをはじめとする東南アジア諸国、エリック・ホブズボームはヨーロッパをそれぞれ「本拠地」としているし、一九七〇年代以降急速に盛んになったエスニシティ論の多くは北米の事例を主に念頭においている。このように、さまざまな「民族・エスニシティ論」はそれぞれに何らかの「本拠地」をもち、そのことに由来する個性をもっている。だとしたら、ロシア・旧ソ連諸国を本拠地とする者がこうした一般論を書くことにもなにがしかの意義があるのではないか、というのが本書を書くに当たっての密かな期待である。(pp.211-212)
その反面、アフリカ諸国についての記述はなく、東亜細亜についても朝鮮半島への言及はきわめて少ない。また、著者の「ナショナリズム」に対するスタンスであるが、反ナショナリズムでも親ナショナリズムでもなく、またいいナショナリズム悪いナショナリズムを峻別しようとするものでもない。「現実には、どのようなナショナリズムにも、危険な要素もあれば、それほど危険でない要素もある」(p.197)。著者にとって重要なのは如何にして「ナショナリズムを飼いなら」すのかということであるようだ。「はじめに」に曰く、

(前略)民族・エスニシティ問題は、一方では冷静(もしくは冷酷な)打算に基づく合理的な選択の対象となったり、「道具」的に捉えられる面があるが、他方では、合理的計算では割り切れない「どろどろした」感情が幅広く動員される。政治家が打算的思惑に基づいて民族主義感情を動員することは珍しくないが、その結果として、当初予期されていた規模を超える自己運動現象が起きて、歯止めが利かなくなることも珍しくない。この場合、当初は打算に基づいてナショナリズム感情を利用しようとしていた政治家は、昔話に出てくる「魔法使いの弟子」(魔法を修行中の弟子が、自分の呼び出した魔法の箒を止められなくなる話)のような立場におかれることになる。(p.iv)
また、

(前略)民族的差異というものは(略)固定的なものでもなければ、必ず激しい敵対感情をもたらすと決まっているわけでもない。しかし、何らかの紛争のために民族感情が動員され、敵対感情がある程度以上煽り立てられた場合、その収拾はきわめて難しいものとなる。当初、民族感情を動員しようとした人たちは、限定的な狙いをもってそれを利用したのかもしれないし、泥沼の紛争継続まで予期していたわけでえはないだろうが、結果としては(略)「魔法使いの弟子」と化してしまいやすい。いったんそうなるなら、その後に引き返すことは非常に困難である。
とすれば、抗争が起こりかける直前の段階――もしくは、小規模な抗争が起きても、まだ決定的にエスカレートしてはいない段階――で、対立感情を煽り立てるか、それとも適時に歯止めをかけるかが、非常に重要な意味をもつ。ナショナリスティックな感情そのものを一般的に否定するには及ばないとしても、それが他者への攻撃の形をとろうとするときには、その悪循環的拡大を防ぐための初期対応が何よりも必要だと思われる。(p.208)
第I章では、「民族」、「エスニシティ」、「ネイション」、「国民」、「ナショナリズム」といった基礎的用語の検討がなされる。「最大公約数的で、ある種の幅をもった用語法」の「探求」(p.2)。ここで改めて驚かされるのは、例えば「ネイション」という言葉の多義性である。同じ英語のnationでも英国と米国とカナダでは意味が微妙に異なる(p.15)。
第I章については、「民族」等の定義における「構築主義」についての議論をマークしておく(p.30ff)。「ネイション」「エスニシティ」「民族」等を巡る議論は、「原初主義vs近代主義」、「本質主義vs構築主義」、「表出主義vs道具主義」といった対立によって整理されることが多く、さらにそれらは「原初主義=本質主義=表出主義」、「近代主義構築主義道具主義」という仕方で纏められる(p.29)*2。塩川氏はその中でも「近代主義」と「構築主義」の関係に疑問を付す。曰く、「概念が「つくられる」のは近代のみにおいてではないから、構築主義的な発想を近代主義のみに限定するのは妥当ではない」(p.30)。「もっと古い歴史にさかのぼりつつ構築主義的視角を生かすことも、理論的には可能なはずである」(p.32)。また、「構築主義」と「道具主義」との関係については、(「民族」という概念が「「つくられる」ということは、さまざまな行為者の多様な作用の複合として結果的につくり出されていくということであって、特定の行為者の意図がそのまま現実化するということではない」(ibid.)。また、

道具主義」的な観点は集団意識形成のある側面を捉えているものの、各人の意識的選択を強調しすぎる傾きがあり、またそれと関係して、人間行動を過度に合理主義的に捉える傾向がある。これに対して、「社会的構築」の観点は、無数の人々の意識的・無意識的選択の総体の結果的産物としての種々の概念を捉えるものであり、単純な「道具主義」「合理主義」よりも幅が広い。(p.33)
これについては、用語の問題として、さらに構築(construction)と構成(constitution)の差異に着目すべきではあろう*3。なお、どちらかといえば「原初主義」寄りのスタンスに立つチェコ出身の論者Miroslave Hrochの”From National Movement to the Fully-formed Nation: the nation-building process in Europe”(New Left Review 198, March/April 1993)というテクストをマークしておく。
第III章と第IV章では、第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、さらに冷戦終結後における新たな「国民形成」が言及される。曰く、

ウェストファリア条約(一六四八年)以降の国際社会体系は諸国家相互の主権尊重・内政不干渉を大きな原則とするから、他国の中での分離独立運動を外から支援することは内政干渉として排斥される。ここには、「国際社会」というもののある種の保守性――といって語弊があるなら、現状維持志向――がみられる。しかし、大規模な戦争に際しては、国家枠組みの変動がいやおうなしに問題となり、特に終戦時の戦後処理において、それにどのような決着を付けるかが問われる。そのため、普段は安定している国家の枠が大戦の終結時には大規模な変更の対象となる。これが第一次世界大戦後に生じた現象であり、(略)第二次世界大戦後および冷戦終焉後も同様である。(pp.93-94)
第一次大戦において付け加わった新しい条件としては、「民族自決」論*4(pp.91-93)であり、「総力戦」(p.94)である。また、冷戦終結後の場合は、「グローバル化」(「グローバリズム」)(p.145ff.)である――「現実にはむしろ、グローバリズムへの対抗は狭いナショナリズムに自閉する傾向が強まっているようにも見える」(p.148)。
第V章は、「ナショナリズム」に関する規範理論の批判的考察。
ほかにも、興味深い箇所は多々あるのだが、それについては別の機会にする。

The Shaman's Coat: A Native History of Siberia

The Shaman's Coat: A Native History of Siberia

さて、数日前にAnna Reid The Shaman’s Coat: A Native History of Siberia*5を読了。

Acknowledgement
List of Illustrations


Introduction
1 Siberians and Sibiryaki
2 The Khant
3 The Buryat
4 The Tuvans
5 The Sakha
5 The Ainu, Nivkh and Uilta
7 The Chukchi
Afterword


Notes
Selected Bibliography
Index

シベリアとは露西亜領土においてウラル山脈の東側、太平洋に至る東北亜細亜の膨大なエリアを指す。端から端まで飛行機で7時間(p.1-2)。
特に最初の方から幾つか抜き書きをしておく;

(…) though Russia really is the last European power in Asia, Siberia’s relation to it[Russia] is more like the American West’s to the United States. Geographical contiguity blurred the distinction between motherland and colony, and quickly attracted Slav settlers, many of whom took native wives. Today, the indigenous people make up only 1.6 million out of total Siberian population of 32 million, and do not form a majority in any so-called ethnic republic save for Tuva, nestled on the Mongol border. Plainly, they are too few and scatterd to mount a Chechen-style war of secession, or to spark a political collapse of Russia in Asia to match that of Russia in Central Europe. But to sideline them from Russia’s history, not to mention the her present, remains as false and self-deluding as leaving the Maya out of Mexico, the Aborigines out of Australia, or the Sioux and Apache out of the United States. (p.4)
露西亜人のシベリア先住民に対するイメージ――”For the Cossacks, they were an economic resource; for Enlightenment scientists, natural curiosities; for Romantics, noble savages; for empire-builders, an excuse –so as to rescue them from cruel Chinese or Japanese rule—to conquer new territory, and a canvas on which display civilising prowess.”(p.33)
少数民族にとっての蘇聯という国制の意味(モスクワで科学アカデミーの大学院生[エヴェンキ]がAnna Reidに語った言葉;

‘It made sense to say “I’m a Soviet.” But it’s impossible for me to call myself a Rossiyanka, a Russian. It’s not a category I fit into. But then if I’m not Russian, how can I belong to a Russian state?’ (p.37)
ニヴフウィルタについてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090312/1236796684を、Chukchiについてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100223/1266943193を参照のこと。