軽くなったものだね

櫻田淳*1「「反革命分子」の思考」
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-4cb2.html


雪斎先生によれば、小沢一郎*2が出席した民主党のパーティで民主党青森県連代表の横山北斗という人*3が「今、民主党を批判する反革命分子に負けずに、この危機を乗り越えて行かなければならない」とアジったという*4。これについて、雪斎先生は


反革命分子」などという言葉を平気で使う感覚の下で行われた政治は、もはや政治ではない。政治という営みの前提は、たとえばハンナ・アーレントが指摘したように、「多様性」への愛着があることである。凡そ、「反革命分子」という言葉を使う論理からすれば、「反革命分子」とは、排除と根絶の対象にしかならないl。それは、フランス革命期の「ジャコバン派」から、二十世紀中国の「紅衛兵」やカンボジアの「クメール・ルージュ」に至るまで、繰り返し再現された光景である。
といい、さらに「「反革命分子」などという偏狭極まりない言葉を遣っても、咎められない雰囲気があることが、民主党の失速に大きく与っている」とも述べている。
思ったのは、「反革命」も軽くなったものだねということだ。昔は「殲滅」というややこしい漢字で表記されていたのが、中核派が「せん滅」という表記を使い始めた辺りから、この語の意味が軽くなってしまったということがあった。左翼業界を周辺部でも知っている人は容易く理解されると思うが、かつて業界において「反革命」という言葉は軽々しく使ってはならない言葉だった。特定の組織や個人に「反革命」という烙印を捺せば、それはもう殺してもかまわないということを意味した。だから、どんなに相手を罵倒し尽くしても、熾烈な暴力的衝突が発生していたとしても、「反革命」というレイベリングは稀だったのではないか。一旦「反革命」という言葉を使ったら、もう後戻りはできないからだ。あの中核派にしても、「反革命」という称号はカクマルに限定されていたと思う。それがほんとうに軽くなってしまったんだね。オウム事件の後に世間のみんなが「ポワ」という言葉をお気軽に使っていたように。それから、民主党のフォロワーの中には「パージ」*5だとか「大坂の陣*6だとかというフレーズをお気軽に使うPがいることは知っていたが、そういう風潮は既に幹部クラスにまで拡がっているのね。