承前*1

- 作者: 浅田彰,柄谷行人
- 出版社/メーカー: 批評空間
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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また、絓秀実、福田和也、柄谷行人「アナーキズムと右翼」(『批評空間』III-4、2002、pp.6-28)における福田和也の発言から;
ところで、「在特会」*2というのは「突撃隊」的なのか、それとも「親衛隊」的なのか。ハイデガーとナチ問題については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060517/1147834055やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091109/1257786249も参照されたい。
柄谷 ところで、ハイデガーのナチズムというのはどういう感じなんですか。彼が深くコミットしていて、ヒトラーによって粛清された突撃隊というのは、アナーキズムじゃないんですか。
福田 突撃隊はアナーキーなところはありますよね。非常に共同体的ですし。モデルになっているのはアクション・フランセーズのカムロ・デュ・ロワという、フランス語で「王の売り子」という意味の戦闘組織なんですが、これは人民戦線の大統領のブルムを車から引き摺り出してぶん殴ったりして捕まっているような集団なんですね。彼らは街頭の中に常に暴力状態を引き起こすことで緊張を作り出そうとしている。突撃隊は露骨にこの方法に学んでいますね。これはヒトラーが学んだのか、ヒトラーに知恵を付けた陸軍の軍人たちから学んだのかは分かりませんが。とにかく常に街頭にそういう暴力状態を維持するわけです。突撃隊というのは基本的には軍規があるわけではなく、単純に暴力を街路の中で遍在させるというか、七〇年代にドイツで新左翼がハーバーマスに対抗して、路上の公共性といったことを言いましたが、騒乱の中から新しい現実を作る装置なんですね。ご存知の通り、ハイデガーも突撃隊と非常に親しかった。
親衛隊と突撃隊の違いについて考えると、親衛隊というのはシュタッツの方で国家的なものであるのに対して、突撃隊というのはナショナルなもので、革命的であり、国家というものを常に乗り越えていくような存在であると言えます。そういう意味でハイデガーは、突撃隊的なアナーキストだったとも云える。だから彼は突撃隊の側から親衛隊批判をして、弾圧されてしまう。その後、彼はナチ批判を展開しています。ナチを惑星的技術主義、要するにグローバル・テクノロジズムだと批判していく。この点はアナーキーだと言えるでしょうか。(pp.25-26)
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100325/1269541570
*2:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091006/1254857703 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091007/1254924507 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091009/1255033275 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091220/1261285960 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100128/1264675935