遊牧民/狩猟民(メモ)

承前*1

少なくとも東亜細亜に限定した場合、遊牧民の多くは同時に狩猟民でもあるといえる。勿論、少なからぬ定住農耕民も同時に狩猟民であるとはいえるのだろうけど。
王明珂『游牧者的抉択』*2では、「狩猟是許多游牧人群喜好従事的活動、也是他們避免宰殺牲畜而仍可得到肉食的手段」と述べられている(p.34)。さらに、王氏は遊牧民が狩猟をする理由について、「元本」(原文では「本金」)と「利息」という喩えを使って説明している。牧畜は家畜という「元本」を増やし、その増えた「利息」の部分を売ったり・自家消費したりして成り立つが、牧畜民或いは遊牧民は天災や疫病などのリスクに備えて、殺さずに「元本」に繰り込む部分(内部留保?)をできるだけ多くしようとする。そこで自分たちが食べる肉を入手する手段としての狩猟が重要になってくる(第三章「草原游牧的匈奴」、pp.132-133)。なお、遊牧民にとって、動物を殺さずに持続的にその栄養分を利用する途としては、乳製品の利用・加工も重要である(第一章「游牧経済與游牧社会」、p.8)。
それから、村上龍が「狩猟民族」にどういう幻想を具体的に持っているのかは知らないが、狩猟民の獲物の多くは(例えば)兎とか栗鼠といった小動物であり、鹿とか猪とか熊といった大型動物が獲物となることは(全体からすれば)少ないといえる。にも拘わらず、狩猟というと大型動物が連想されてしまうのは、当事者たる狩猟民が(学者を含めた)外部の人間に語るのは、またフォークロアとして残されるのは、実際の狩猟生活というよりは一種の英雄物語であるからだという(Cf. pp.133-134)。たしかに、吉村昭*3の『羆嵐』とかを読むと、狩猟って凄ぇ! と思ってしまうけれど。

羆嵐 (新潮文庫)

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さて、「「ヨーロッパ人は狩猟民族、日本人は農耕民族(だからヨーロッパ人は獰猛)」みたいな話」*4だけれど、先ず俺の信州の田舎では昔は冬になると熊を撃っていた*5。とすれば、俺も狩猟民の子孫ということになる。「ヨーロッパ人は狩猟民族、日本人は農耕民族」という二分法が幾らかでもplausibilityを有するとすれば、それは日本における狩猟文化の衰退と関係しているのかも知れない。熊が出たとかいうと、地元の猟友会の登場ということになるのだが、そういうニュースを視て先ず思うのは、猟友会の方々の高齢化ぶりである。ところで、日本において狩猟、特に猪狩りは農耕と対立するものではなく、寧ろ畑を荒らす害獣の駆除という意味で、農耕に組み込まれていたといえるのではないか。だからこそ、江戸時代において、鉄砲は「農具」と見なされて、その農民による所有が認められていた(藤木久志『刀狩り』*6)。また、ヨーロッパにおいても、特に狼狩りは農耕に組み込まれたものだったのではないか。あれだけ狼が虐殺され、しかも徹底的にネガティヴなイメージが構築されたのは、それが農耕の拡大、或いは畑による森への侵略と関係していることを示しているのでは?
刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

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ところで、最初に「遊牧民の多くは同時に狩猟民でもあるといえる」と限定的な物言いをしたのだが、王明珂氏はチベット人はあまり狩猟を行わないと述べている。王氏は佛教の影響を指摘するが、同じくチベット佛教を信仰するモンゴル人は大いに狩猟をしているので、それは宗教にのみ還元することはできないのではないかという気はする(pp.34-35)。