「読書という言葉の解体」(メモ)

承前*1

http://d.hatena.ne.jp/kunimiya/20100307/p1


興味深かったので抜き書きする;


(前略)多くの人は「読書」という体験についてあまり追究せず、電子書籍について論じているように思います。そもそも活字が氾濫している現代において、どこからどこまでが「読書」なのか。週刊雑誌を読むこと、漫画を読むこと、Wikipediaという百科事典を読むこと、サウンドノベルをプレイすること、Twitter上の小説を読むこと、これらのどれが読書であるのかないのか。人が「読書」をしたいと感じた時、それは具体的にはどんな体験を欲しているのでしょうか。

このような問いは紙媒体の書籍の存在によって、封じられていた問いだといえます。しかし、電子書籍端末によって本を読むことが一般化してくるようになれば、「読書」という言葉は見直される必要があると思います。もしかしたら、紙の本に対する「読書」と、電子書籍端末に対する「読書」には別の言葉が割り振られるかもしれません。そのような「読書」の解体が起こったとき、それぞれの「読書」はどの業界が担うようになるのでしょうか。

ところで、インターネットの歴史においてネットスケープの前身であるモザイクの開発が重要な出来事であることはいうまでもないが、それがreaderではなくbrowserと名づけられていたということと関係があるのかないのか。
また、J. Hillis Millerの

Insofar as what we mean by poetry belongs to the post-Cartesian epoch of print culture in the West, that is, the period of a particular subject/object dichotomy strongly reinforced or even generated by the technology of the printed book, what we call “poetry” may now be coming to an end. This is happening as print technology is replaced by television, cinema, videocassette recorders, computers and the Internet, in short by the new regime of telecommunications. (Others, p.171)
という一節*2を再録しておく。
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