ハプスブルクは? とか

http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20090427


以前からちょっと気になっていた。山下範久世界システム論で読む日本』という本が取り上げられている。この本は勿論読んだことがないのだが。


山下氏によれば、近世ヨーロッパの絶対王政国家は、「常識的には、近代国民国家のプロトタイプのようなものとして捉えられて」いるが、実は「一九世紀以降のいわゆる国民国家」とは質的に「不連続」であり、「近世ヨーロッパにおける主権概念」(17世紀)と「近代国際法体系における主権概念」(19世紀)との間には「かなり大きな共約不可能性」があるという。
引用文の後半部についてはそうだろうと思う。ただ、「近代国民国家のプロトタイプ」としての「絶対王政国家」ということで、普通イメージされているのは、ここでは採り上げられていない仏蘭西ブルボン家)やプロイセン(ホーレンシュタイン家)だろう。

前回のエントリを書きながら、私は山下範久氏が『世界システム論で読む日本』で展開しているユニークな議論を思い出していた。それは、「グローバルな長期の一六世紀は、ヨーロッパも含めた五つの近世帝国のパラレルな形成期であった」というもので、五つの近世帝国とは、「ヨーロッパ、北ユーラシア(ロシア帝国)、西アジアオスマン帝国)、南アジア(ムガール帝国)、東アジア(清帝国)の五つの近世的な地域システム」のことを指す。山下氏自身予期しているように、「ヨーロッパにも近世帝国?」というのは当然の疑問で、これは「帝国」という概念を新たに定義しなおすことによって見えてくるようなパースペクティヴである。
たしかに、ホーレンシュタインやブルボンはここで挙げられた「五つの近世帝国」とは性質を異にする。ところで、ヨーロッパの「近世帝国」ということで、創設の年代はこの5つの帝国より古いものの、忘れてはならないのは、ハプスブルクオーストリア)帝国だろう。ハプスブルク帝国は長きに亙ってオスマン帝国のライヴァルであった。
また、「主権」の正当化問題については、檜山和也「グローバリゼーションと主権の概念」(『コロキアム』1、2006)*1も。
コロキウム―現代社会学理論・新地平 (No.1(2006年6月))

コロキウム―現代社会学理論・新地平 (No.1(2006年6月))