藩民、県民

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秋田県知事選挙で、佐竹敬久氏が当選した件について、それは自民党vs.民主党という対立というよりは、秋田藩主・佐竹家のご威光によるものではないか、云々。秋田県でも旧南部藩領の地域では川口博氏の得票が多かったとか。そういえば、佐竹家はそもそも常陸国を拠点としており、関ヶ原で西軍についたために、秋田へと転封された筈。
佐竹氏の当選が「江戸時代への回帰」或いは「君主制」への移行であるかどうかはともかくとして、県民性と藩との関係は興味深い。県民性に関しては、例えば祖父江孝男『県民性』という本があったりするが、所謂国民性以上にあやしいものだろうと思っている。ただ、薩摩藩熊本藩佐賀藩長州藩土佐藩*1加賀藩仙台藩、また徳川御三家紀州藩尾張藩のように、江戸時代の藩と現在の県がほぼ重なる大藩の場合、200数十年に亙る藩の統治が民衆の意識に影響を及ぼし、藩=県を共同体として想像しやすくしていることは想像に難くない。そういうことは祖父江氏の本にも言及があった筈。譜代の小藩の場合、かなり頻繁な国替えがあったが、今挙げたような外様の大藩や御三家の場合、江戸時代を通じて、その所領が変わることはなかった。しかしながら、このような大藩というのは寧ろ例外的で、藩というのは普通はもっと小さな範囲での共同性に関わっていたといえるだろう。藤沢周平の小説の舞台である「海坂藩」のように。また、米山俊直氏が指摘しているように、藩というのは、平地(盆地)/山地という対立に重なるように、日本人の空間的感覚に及ぼした影響の方が強いともいえるだろう。中心としてのお城*2、城下町、農村、さらには異界との境目としての山(峠=たむけ)という空間の構造。

県民性―文化人類学的考察 (中公新書 (265))

県民性―文化人類学的考察 (中公新書 (265))

さて、千葉県は旧国制でも、下総、上総、安房に分かれており、江戸時代は天領や小藩の領土が入り組んでいたので、上に挙げたような藩意識=県民意識が育つ筈はない。さらに、現代の千葉県は基本的に東京の殖民地である*3。愛県心を醸成するために、長野県は「信濃国の歌」を覚えさえるというイデオロギー教育を行っているし*4群馬県でもたしか上州いろはかるたみたいのがある筈。千葉県にはそういうのはない。
古今東西を問わず、アイデンティティを盛り上げるための安易な手段は侵略戦争だろう。森田健作*5においては、隅田川の東側は千葉のものだ! を掲げて、江戸川区江東区墨田区を占領し、最後は石原慎太郎と一騎打ちをして、見事討死していただければ、みんながハッピーになるんじゃないだろうか。