フロネーシスとメティス

承前*1

多分広坂さん*2さんは既に御存知なのだろうけど、田辺繁治『生き方の人類学』から「プロネーシス」と「メティス」を巡る箇所をメモ。
アリストテレスは「プラークシスという実践概念のなかに、メティス的な特性を周到に忍びこませていく」(p.35)。「プラトニズムによって過度に純化されたプラークシスを修正し、メティス的なプロネーシスが実践の核心にあるという考えを導入した」(p.37)。
「メティス」――


策略的なメティスは医術、航海術、軍事戦略、修辞学やさまざまな職人の技芸、さらに政治においても見られる実践知の働きである。これらの職業における計算合理性は、数学的合理性やプラトンのいう〈厳密な学としての哲学〉に従うものではない。それは変転する状況に即座に対応できる理にかなった合理性である。メティスは巨大な力に対抗して、変転する状況に繊細かつ機敏に対応し決断する知性であり、最小をもって最大を支配し圧倒するソフィスト的な能力でもある。
また、メティスは的確に標的を定め、瞬発的に行動する知性である。それは厳密で正確な論理学的な推論に従うのではなく、長期にわたる経験でやしなわれる勘とコツによる推測を駆使して、おおよその正確さをもって実践をやりとげる能力である。秘訣は論理学的な推論ではなく、近似的な推測である。
繊細かつ機敏、臨機応変に対応し、ねらいをすまして的確に目標に到達する技法としてのメティスは、専門技術、技芸や日常生活における秘訣や巧みさのみならず、占い、呪術、妖術、占星術錬金術などの技法につながっていた。また、こうしたメティスの策略的な実践知はテクネーの特質とも重なっている。しかし、多くの職業的な活動を支える策略的な知は厳密な学問的、観想的な知をおびやかし、人心をまどわす危険なものとして形而上学的なプラトニズムからは追放される運命にあった。(pp.34-35)
「フロネーシス」と「メティス」;

また、プロネーシスという実践知の特性は、それがたんに一般的な知的能力の高さにとどまるのではなく、個別的な状況に的確にすばやく対応できることである。私たちは悠長で厳密な理論的な思考をまって行為するのではなく、個別的で予期しない偶然の出来事がつぎつぎに生起する実践状況において正しい目標に到達しなければならない。
さらに、プロネーシスは正しい目標をめざす倫理的卓越性とその目標に臨機応変に到達する技法の結合である。したがって、動物の習性であるあるような予知的で怜悧な能力はたしかに標的をしとめることができるが、それはたかだか邪知にすぎない。動物も人間も怜悧という魂の眼をもっている。しかし、そこに倫理的卓越性という徳〈アレテー〉が加わることによってはじめてプロネーシスという実践知が開花し、人間は実践状態を巧みにコントロールしていくことが可能となるのである。(pp.36-37)
生き方の人類学―実践とは何か (講談社現代新書)

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また、「メティス」を巡っては今村仁司*3『排除の構造』も。
排除の構造―力の一般経済序説 (ちくま学芸文庫)

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