「パーリア」(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090202/1233580171を書きながら念頭に置いていたのは、アレントの俗に”New York Essays”と称されている「パーリア」論だった。

パーリアとしてのユダヤ人

パーリアとしてのユダヤ人

ここでは、千葉眞先生の『アーレントと現代』から少しメモ。「パーリアは、世界に挑戦を挑みながらも、同時に世界を保持していく」(p.74)という;

アーレントが着目した点は、パーリアが多様な形態の抵抗を企て、またつねに社会的および政治的アウトサイダーとしてとどまったとしても、彼らが世界の確固たる基盤から逃避することはなかったという事実である。そうではなくユダヤ人のパーリアは、古代イスラエルの彼らの祖先の預言者たちと同様に、また幾分かローマ世界における初期キリスト教徒たちにも類似した仕方で、厳密な意味で世界に帰属することなく、しかし世界のなかに寄留者としてとどまる。パーリアはこうして、しばしば世界の周縁からその支配構造にプロテストすることを通じて、意図することなく世界の保持に寄与する存在となる。なるほどパーリアは、世界とみずからの共同体の双方において単なる周縁的な存在としてとどまるであろう。その限りで彼らは、「世界を保護していく仕事の重荷から解放されている大きな特権を享受している」*1。しかし、パーリアは、世界の支配的かつ独占的で腐敗した諸勢力への抵抗を通じて、政治の尊厳と複数性の確保に貢献していくのである。(p.73)
アーレントと現代―自由の政治とその展望

アーレントと現代―自由の政治とその展望

千葉先生のこの本、今読み返してみると、同意できない箇所も多々ある。また、総じて、アレントを基督教に引き付けすぎ! ということはいえるだろう。しかし、上に引用した箇所への共感は変わらない。

*1:Men in Dark Times, p.14からの引用。

Men in Dark Times

Men in Dark Times

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)