ベンヤミンなど

承前*1

先ず、所謂〈フランクフルト学派陰謀論〉は(911陰謀論などと同様に)made in USAの舶来品である可能性が高い。例えば、


Gerald L. Atkinson “What is the Frankfurt School?” http://www.newtotalitarians.com/FrankfurtSchool.html


は米海軍に浸透するフランクフルト学派というノリ。
さて、


PledgeCrew*2 2009/11/07 11:47
上に出ている都留とかはともかく、近いところで、フランクフルト学派に多少なりと関係ありそうなのは、丸山真男くらいでしょうか。彼の『日本政治思想史研究』では、ボルケナウを参考文献としてあげてますね。もっとも、ボルケナウもウィットフォーゲルと同様、研究所に在籍してはいても、「フランクフルト学派」とは言えないでしょう。

ところで、Wikipediaなどネット上の情報には、ウィットフォーゲルを学派に入れてるのが多いようです。これもおかしいですね。「批判理論」とは関係ないし、当時はライヒやボルケナウと同様に、バリバリの共産党員ですから。

Wikiではベンヤミンもお仲間に入れられてますが、これもやっぱりおかしいのではないでしょうか。たしかにアドルノとの関係はあったし、亡命後は協力もしてますが、やっぱり違いますね。彼の場合、ユダヤ思想の影響が強いですから。なんだか、一部の世界では、ワイマール左翼はすべて「フランクフルト学派」になってるみたいですね。しかし、だとすると、ブレヒトやコルシュはどうなんでしょう。無視だとしたら、かわいそうですね。

ホルクハイマーについては、戦前に久野収が紹介しています。
晶文社から『哲学の社会的機能』という題で、久野が当時訳して、京都で中井正一らがやっていた「世界文化」に載せた論文を集めたのが出ています。1974年出版で、私が持ってるのは85年の6版ですが。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091106/1257482211#c1257562061

Wikipediaだと英語版の方がマシなんじゃないでしょうか。
少しおさらい。フランクフルト学派は1923年にCarl Grünbergがフランクフルト大学に「社会研究所」を設立したのが起源。ただし、研究所の設立資金を出したのはFelix Weil(カール・コルシュの弟子)。また、1922年にヴァイルが開いたシンポジウムが「社会研究所」の起源とされています;

Weil was a young Marxist who had written his Ph.D. on the practical problems of implementing socialism and was published by Karl Korsch. With the hope of bringing different trends of Marxism together, Weil organized a week-long symposium (the Erste Marxistische Arbeitswoche) in 1922, a meeting attended by Georg Lukacs, Karl Korsch, Karl August Wittfogel, Friedrich Pollock and others. The event was so successful that Weil set about erecting a building and funding salaries for a permanent institute. Weil negotiated with the Ministry of Education that the Director of the Institut would be a full professor from the state system, so that the Institut would have the status of a University institution. Although Georg Lukacs and Karl Korsch both attended the Arbeitswoche which had included a study of Korsch's Marxism and Philosophy, both were too committed to political activity and Party membership to join the Institut, although Korsch participated in publishing ventures for a number of years. The way Lukacs was obliged to repudiate his History and Class Consciousness, published in 1923 and probably a major inspiration for the work of the Frankfurt School, was an indicator for others that independence from the Communist Party was necessary for genuine theoretical work.
http://en.wikipedia.org/wiki/Frankfurt_School
但し、これはあくまでも〈前史〉であって、普通にいうところの〈フランクフルト学派〉の開始は1930年のマックス・ホルクハイマーの所長就任に求めるべきでしょう。また、ホルクハイマーによるアドルノ、マルクーゼ、フロム、ベンヤミンリクルート。Pledge Crewさんはベンヤミンを入れることには懐疑的であるようですが、まあ普通〈フランクフルト学派〉といえば、この5人ということになるんじゃないでしょうか。勿論、〈フランクフルト学派〉は〈コミンテルン〉(笑)や〈パルタイ〉(笑)ではないので、5人の思想に重要な部分で不一致があったとしても不思議ではないのですが。ただ、ベンヤミンがホルクハイマーやアドルノから半端者としてあしらわれていたということはあるようですが。アレントの「ヴァルター・ベンヤミン」(in 『暗い時代の人々』)に曰く、「研究所の指導的人物であったテオドール・W・アドルノとマックス・ホルクハイマーは「弁証法唯物論者」だったが、彼らの意見では、ベンヤミンボードレール論において、「上部構造内の或る種の目立った要素を……恐らくは因果的に、下部構造内の対応する要素に直接」結びつけていた限りでベンヤミンの思考は「非弁証法的」で、「マルクス主義的なそれとは全く一致しない唯物論的カテゴリー」に移行しており、「媒介を欠いていた」」(pp.162-163、訳本pp.254-255。但し、訳文を大幅に改竄。)。
Men in Dark Times

Men in Dark Times

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

アレントベンヤミンから「歴史哲学テーゼ」草稿を紐育のアドルノに渡すよう託されたが、アレントアドルノを信用していなかったという話は以前にした*3。少し、ヤング=ブルーエルのアレント伝から引いてみる;

ハンナ・アーレントは、ベンヤミンの草稿をアドルノにはけっして渡したくなかったのだが、しかし友人の指示に縛られていた。彼女は、アドルノベンヤミンのためにアメリカへの緊急ビザを手配してくれたことには感謝していたが、ベンヤミンが研究所のメンバーたちの精神的・財政的援助をあてにできないかもしれないと懸念していたのを、はっきり覚えていた。ベンヤミンは、一九三八年十一月に、ボードレールに関する評論をアドルノに提出した後に、懸念を感じるようになった。その原稿は、大幅な改訂要求とともに彼に返された。ベンヤミンは、しぶしぶ、その要求に従い、その作品は、もう一度アドルノによってカットされ編集し直されて『社会研究雑誌 Zeitschrift fur Sozialforschung』の一九三九年のある号に掲載された。(略)ベンヤミンアドルノを恐れており、そのことをハンナ・アーレントは深く憤っていた。彼女がニューヨークに運んできた原稿のうちの一つを、ベンヤミンが恐怖から、「平穏と安全」を得るために改訂していたことを、彼女は知っていた。そして、この犠牲でさえも、フランクフルト学派の人びと――彼等はベンヤミンを悪しきマルキストであり、十分に弁証法的に思考する思索家ではないと見なしていた――をなだめるには十分でなかったということを考えると、彼女は苦い思いにさせられた。(pp.238-240)
また、

ヴァルター・ベンヤミンの著作が一般の手に入るようになると、それらを巡って多くの争いが起こった。彼が好ましくないマルキストであったにもかかわらず、フランクフルト学派の後継者たちからは自分たちのものだとされ、彼のシオニストの友人ショーレムその他からは、彼がハンナ・アーレント同様「賤民」内部ののけ者であったにもかかわらず、ユダヤ文学のものだと主張された。イデオロギーというものは、ベルトルト・ブレヒトの詩のなかで老子と税関吏が国境で共有し合ったような純粋な認め合いの瞬間を妨げる傾向がある。そのことをベンヤミンは知っていたし、それはまたハンナ・アーレントがくり返し学んだことであった。(pp.240-241)
ハンナ・アーレント伝

ハンナ・アーレント伝

暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

ところで、ホルクハイマーですが、最晩年においては、「革命」を放棄し、「他者」や「無限」を喚起し、結果としてエマニュエル・レヴィナスに接近しています(今村仁司現代思想のキイ・ワード』、pp.31-35)。また、久野収はホルクハイマー『哲学の社会的機能』のほかに、かつて〈フランクフルト学派〉として誤認されたライヒ*4の『階級意識とは何か』も翻訳していますね。久野収に関しては村上義雄氏の伝記がありますが、浅田彰柄谷行人によるインタヴュー「京都学派と三〇年代の思想」(『批評空間』II-4、pp.6-33、1995)が面白い。
現代思想のキイ・ワード (講談社現代新書 (788))

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哲学の社会的機能

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階級意識とは何か (三一新書 828)

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人間 久野収―市民哲学者、きたるべき時代への「遺言」 (平凡社新書)

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批評空間 (第2期第4号) 京都学派と三〇年代の思想

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