「門中」メモ

承前*1

女性優位と男系原理―沖繩の民俗社会構造 (シバシン文庫 4)

女性優位と男系原理―沖繩の民俗社会構造 (シバシン文庫 4)

比嘉政夫『女性優位と男系原理 沖縄の民俗社会構造』から「門中」について少しメモ。

沖縄の門中、その組織はムートゥ、またはムートゥヤーとよばれる家(始祖の長男筋の家、ムートゥとは根幹、起源、元を意味し、ムートゥヤーは宗家、本家のこと)を中心に、その長男筋の家から次男以下の者が枝分かれした家々(ワカリ=分かれ。ヤーワカヤー=家が分かれた者)が結びついているものである。地域によっては各家に屋号(ヤーンナー=家の名)があり、ムートゥはときに集団の根幹らしいウフ(大きいの意)という接頭辞のついた屋号を持ち、分枝(ワカリ)の家々はそれぞれにムートゥから枝分かれした序列を示す屋号を持っている。門中内において成員の特定は家単位になされていて、門中共同の祭祀行事の経費は、家単位で徴収されるのが一般的である。糸満など地域によっては門中の諸経費の徴収が、費目によって世帯単位、個人単位の別がある。村落においても家々の屋号は子供にも熟知されており、村落の成員一人一人の特定は戸籍上の氏名よりも、家の屋号とその家の嫁であるとか次男であるとかによってなされることが普通である。(「沖縄社会と「やさしさ」の構造」、p.19)
門中」の構成単位としての「ヤー」。「ヤー」は「一つの家屋もしくは一つの屋敷のなかの居住単位を意味する」。「ヤーニンジュ」は家族(pp.19-20)。

[ヤマトの]同族と門中いずれも父系の系譜で結びついており、本家と分家(沖縄のばあいはムートゥとワカリ)の関係が確認されていることは共通している。しかしながら、(略)沖縄においては土地の共同所有の形態が明治の後半期まで残存したこともあって、ムートゥの権威は経済的権力をともなったものでなく、祖先祭祀に主導的地位を持つ宗教的な象徴としての役割に基づくもので、村落の日常生活においては家の本来の家格よりも個人どうしの年齢の序列が人間関係の規範として重要であった。しかし自由開墾地「仕明け地」の拡大や「地割り制度」の廃止以後、地主と小作人の階層分化もすすんだことも事実であり、そのような土地所有と門中組織とのからみあいが、近世末期から近代になって発生したことも考えられる(後略)(p.24)
門中の結合は「土地所有を背景にしたものでなく、始祖を同じくするという意識や伝承、祖先祭祀という観念的・象徴的なものである」(p.25)。

沖縄の門中の組織原理である父系血縁の厳格な遵守が門中門中といわれるところであり、同族との違いがきわだつ点である。非血縁の者でも養子とし、婿養子も許容する同族に対して、門中は、女系や他系の血筋が混じるのを避け、ヤーの継承者としては、実子であっても女性(娘)は不適格とされ、娘は嫁に出して近い父系縁者、たとえば兄弟の息子を養子とするのである。このかたくななまでに父系血筋を守ろうとする観念は中国漢民族の宗教*2や韓国あるいは朝鮮の門中(Munjung)のそれに似ており、あきらかに漢文化の影響をみることができる。しかしながら、沖縄の門中における父系血筋遵守の観念は近世から近代、現代にかけて強まってきたものであり、かつては士族層においても父系血筋にこだわらない他系養取の例もあったことが、家譜など史料分析によってあきらかにされている。(p.25)
琉球民俗社会の構造と変容」から;

沖縄における「イエ」の相続・継承の中心は、経済的・技術的なものがともなうものではなく、位牌と屋敷地という呪術宗教的・象徴的なものであったといえる。そして相続・継承のラインは父系血筋(沖縄ではシジとよぶ)が強く守られ、しかも長男優先の観念が強い。それがタチイマジクイ、チャッチウシクミの忌避・禁忌という慣習として出ている。タチイマジクイとは「他系混淆」であり、相続・継承のラインに他の血統が混じることを祖先の意に反するものとして忌みきらうのである。チャッチウシクミとは「長男封じ込め」であり、長男をさしおいて次男・三男が優先し継承することで、それを厳しく忌むのである。
このようなかたくななまでの父系血筋へのこだわりに比べて、日本本土の「イエ」の継承は、タテマエとして男系を唱えているものの、娘婿による継承も許容している点で沖縄からみればルーズにみえるのである。
沖縄の「門中」の持つ血筋の原理からみれば、本土の族制にみられる婿養子の慣行は、まさに忌むべきタチイマジクイ(他系混淆)をもたらすものとみなされるのである。沖縄では、養子は同じ父系血筋のもの(同じ門中)から取るべきであり、もし娘がいたとしても、家(イエ)を継ぎ位牌を継承すべき資格はなく、その娘は嫁出させ、養子は兄弟の息子か、同じ門中の近い血縁者から取るべきものとされている。(pp.43-44)
沖縄の「門中」とヤマトの「同族」制度(イエ制度)が比較されているが、本来比較の対象となるべきなのは、イエ制度以前の氏族制度であろう。しかし、現在日本で古代的な氏族制度を守っているのは皇室だけだ*3。また、岡野友彦『源氏と日本国王』を参照のこと。
源氏と日本国王 (講談社現代新書)

源氏と日本国王 (講談社現代新書)

中国(漢族)の宗族との関係で言えば、世代観念(世代間のヒエラルキーと同一世代間の原理的な平等性)が問題になるのであろう。ここでは、寧波近郊の農村を調査した上田信「村に作用する磁力について――浙江省勤勇村(鳳渓村)の履歴――」(in 橋本満、深尾葉子編『現代中国の底流』行路社、1990、pp.125-182)をマークしておく。また、同じ本に収録されている陳其南(小熊誠訳)「房と伝統的中国家族制度――西洋人類学における中国家族研究の再検討――」(pp.23-106)で検討されている「房」と「ヤー」の関係は如何に?