築地・浅草・千川など

金曜日。
妻と一緒に築地市場へ。妻が寿司は食べたくないけれどねぎトロ丼は食べたいというので、ねぎトロ丼が食べられる店を探して、「うまい鮨勘*1という店に入って、妻はねぎトロ丼、私は普通の握り。それから、場外市場を冷やかし、築地本願寺から聖路加国際病院の辺りを散歩。
それから、日比谷線、銀座線を乗り継いで、田原町で降りて、合羽橋道具街へ。とはいっても、食品サンプルとか調理器具とかが目当てではなく、妻が合羽橋の辺りに絞りたての豆乳を売っている豆腐屋があるのでそこに行きたいといったからだ。しかし、商店街を北上しても豆腐屋は見つからず。そうこうしているうちに、台東区の中央図書館にぶつかり、妻はインターネットで調べ物をするといって、パソコンを借り、私は「池波正太郎記念文庫」*2池波正太郎の生原稿などに見入る。そこから、合羽橋本通りの方に戻り、豆腐屋を探す。先月東京を旅行した私たちの友人のメイルに添付されていた写真にあった喫茶店はアイデンティファイしたのだが、豆腐屋は見つからず、国際通りを超えて、伝法院通りへ。結局、仲見世の端っこで豆腐屋を見つけ、豆乳を買う。私も一口飲んでみたが、豆の味だ。やはり生姜醤油か山葵醤油を入れるべきだと思った。
銀座線、丸の内線と乗り継ぎ、新宿三丁目。新宿で知人と食事するという妻はそこで降り、私は副都心線に乗り換え、池袋の先の千川へ。清水知子さんの情報で知った「桂川寛と語る<アート>の現在--戦後芸術から60年、芸術はどう変貌したのか?--」。


桂川寛と語る<アート>の現在--戦後芸術から60年、芸術はどう変貌したのか?--
  
 前衛芸術運動を通じて、一貫して「時代を証言する表現者」として歩み続けてきた画家・桂川寛(かつらがわひろし)。戦後の廃墟の中からジャンルを超えた「総合芸術」をめざし、芸術の前衛を生き抜きぬいたその活動を通じて、表現することの本質を問い質してきた。文化多元主義グローバリズムの表層だけをなぞった<芸術なきアート>、<企業化したアート>が闊歩する現代、文化の政治性は戯画化され、あらゆるアートが消費のサイクルに取り込まれつつある。今、私たちの<アート>はいかなる風貌で進行しているのだろうか。
<戦後芸術>から60年。今日までの道程をあらためて検証しつつ、文化と政治を節目させる表現活動を実践してきた桂川寛とともに、「芸術(アート)の裂け目」から何が生まれるかを、考えてみたい。
■ 日時:2008年11月21日(金)午後6時〜9時(午後5時半より開場)
■ 会場:豊島区千川区民集会室1F(豊島区千川2-9-10 略)
■ 会費:有職者:1000円、学生/非正規雇用労働者500円(お茶菓子付、資料代込み)
■ 会場には、桂川寛の中小作品20数点、及び参考資料等並べます(貴重なものばかり、この機会をどうぞお見逃しなく、必見です!)
■ 会場案内:東京メトロ有楽町線副都心線(急行・準急に注意)千川駅下車 出口2番より徒歩5分 (地図参照)
■ 主催:戦後芸術研究会
    井口大介(美術家)、清水知子(英国文化研究)、古川美佳(韓国美術・文化研究)、毛利嘉孝社会学者)他
■ 問い合わせ:(略)

桂川寛(かつらがわ ひろし)
1924年札幌生まれ。戦後、上京して安部公房勅使河原宏らと<世紀>、<前衛美術会>等の前衛芸術運動に参加。50年代は<人民芸術家集団>等東京南部の労働者街で文化サークル運動、小河内の文化工作にも参加、山下菊二らとルポルタージュ絵画制作。60年代半ば以降は無所属として個展を中心に作品を発表。戦後美術に関する論考も多い。

旧小河内村の住民がダムのために故郷を捨てて信州の八ヶ岳山麓に集団移住した話を小学校の頃に〈美談〉として教えられたことはあったが、ダムへの住民による反対運動が(しかも戦前から)続けられていたいうことは殆ど知らなかったのだ。その意味では蒙を啓かれた。さらに、岡本太郎の話。プロアレタリ・アートとしてのコラージュなど。村井さん、清水さん、毛利さんと久々の再会。トークが終わって、会場近くの桂川さんのお宅にお邪魔して、ワインなどをいただく。そこでは、何故か基督教の話で盛り上がる。帰宅したのは土曜日の午前1時すぎ。