筑紫哲也

大分県の反応を伝える『読売』の記事;


筑紫哲也さん死去
「かけがえのない友人」同級生ら声震わせる


 日田市出身のジャーナリスト・筑紫哲也さんが73歳で肺がんのため、東京都内の病院で亡くなった7日、県内在住の恩師や同級生らは、悲しみに包まれた。郷土・大分の文化振興に熱心に取り組んだ姿は、関係者の脳裏に今も焼き付いている。

 「みんな待っているぞ」

 「行けたら行くよ」

 旧小野村立北小野小(現・日田市立小野小)時代の同級生で、家具職人河津元治さん(73)(日田市天瀬町)は9月、鹿児島市内の病院に筑紫さんを見舞い、病床の傍らで固い握手を交わした。

 2人は、オリンピック開催に合わせて、4年に1度開かれている同窓会の幹事を長年務める間柄。「読書家だった幼い彼の姿が、目に焼き付いている。かけがえのない友人だった……」と声を震わせた。

 担任だった同市淡窓の草野忠彦さん(84)も「先生、今度は京都で開きましょうね」という言葉が忘れられない。筑紫さんが、がんであることを公表したため、実現はしなかった。「今年に入って体調を崩したと聞いていたので心配していました。とにかく驚いています。私の誇りの生徒です」。

 「(同窓会の)楽しみはまだ健在の恩師。草野忠彦先生らにお目にかかることです」。筑紫さんは昨年12月、自らのブログにこう書き残している。

 筑紫さんは、蔵書約1800冊を寄贈して「筑紫文庫」を開設、1994年から12年間、市民大学「自由の森大学」学長を務めるなど、とりわけ古里・日田市の文化振興に力を注いだ。2006年11月には名誉市民になった。

 佐藤陽一市長は「キャスターを務める番組で紹介していただいた『千年あかり』の日に、亡くなったことに因縁を感じる。難しいかじ取りを求められる市政に、意見をうかがいたかった」と語った。

 筑紫さんが賞の選考委員を務めた「ゆふいん文化・記録映画祭」事務局長の小林華弥子さん(40)は6月に、都内の日本記者クラブ賞授賞式で会ったのが最後だった。「抗がん剤の影響でやつれておられたが、あいさつでは“筑紫節”も健在で、言葉に気力があふれていた。『(映画祭に)来年は行くよ』と話していたのに……」と肩を落とした。
(2008年11月8日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/oita/news/20081107-OYT8T00678.htm

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081107/1226059050も参照のこと。小泉純一郎の「オペラ友達」ということは知らなかった。ただ、いちばん印象深いのは『朝日ジャーナル』編集長時代だな。また、汚点としては、阪神大震災の時の「温泉」発言があるだろう。大震災を契機に、田中康夫氏との確執も始まったわけだが、その発端に関しては、『神戸震災日記』に記述があったと思う。田中氏はどうコメントしているのか。また、報道では触れられていないようだが、「革新自由連合」の参議院選政見放送に出演したために朝日から処分を受けたということがあった。
また、或る記事で、好きな煙草のブランドが私と同じだったということを知った。
神戸震災日記 (新潮文庫)

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