「終わり」のこととか

フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』とドアーズの”The End”の話をしていた人がいたのだが、”The End”ならばオリジナルのドアーズよりもNicoによるカヴァーの方が凄いと思う。勿論、ドアーズにしてもNicoにしても、同時代的に体験したわけではない。私がロックを聴き始めたのは、ジム・モリソンが既に鬼籍に入った後だったし、Nicoもまだ生きてはいたものの、既に〈伝説の凄い人〉であった。従って、”The End”も(当時まだ存在していたテアトル東京という映画館で観た)『地獄の黙示録』の印象がいちばん強い。私の知る限り、Nicoによる”The End”は、1974年のタイトルも The Endとなっているソロ・アルバム所収のものと、June 1. 1974に所収のもの(ライヴ)があるが、テンションというかヘヴィさということでは後者の方が凄い。こちらの方のメンバーはNico(ヴォーカル、ハーモニウム)とイーノ(シンセサイザー)のみ。”The End”の歌詞というのは基本的には〈エディプス物〉(父殺し)といえるのだろうけど、『地獄の黙示録』に使われたということはこの映画も〈エディプス物〉としての一面を持つということでいいのだろう。では、〈エディプス〉のもう一つの側面である〈母親を犯す〉は『地獄の黙示録』のどこに対応するのか。さて、ジム・モリソンに限らず、ロックの根柢に父/息子の葛藤があることを描いたのは、ルイス・シャイナーの小説『グリンプス』。この主人公も父親との葛藤に悩むが、臨死体験を経て解脱して、父親との和解を果たす。

地獄の黙示録 [DVD]

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The End...

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June 1st 1974

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グリンプス (創元SF文庫)

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ところで、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081015/1224016759のコメント欄にて、ボーナス・トラックの話があったのだが、ディスクのボーナス・トラックに嬉しい驚きを覚えたという経験は私にもある。アンナ・カリーナUne histoire d’amourアンナ・カリーナといえば、『気狂いピエロ』の中でジャン=ポール・ベルモンドとデュエットした「わたしの運命線(Mon ligne de chance)」でしょうということで、この日本盤にはボーナス・トラックとして「わたしの運命線」が収録されていることは知っていたのだが、予算の関係で買ったのはそれがクレディットされていないEU盤。しかし、ディスクのプレイが終わって1分くらいの空白があって、突如「わたしの運命線」が鳴り出すではありませんか。その瞬間の嬉しさと言ったら。さて、長い間、「わたしの運命線」がジル・ドゥルーズの「逃走線」という概念の起源だということを信じていたのだが、或る時そのことを専門のドゥルーズ研究者に言ったら、一言で否定されてしまった。しかし、「わたしの運命線」という歌が歌い出している状況は〈誤解によってこそ可能になるコミュニケーション〉であり、これって或る意味ドゥルーズ的なのでは?
恋物語

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気狂いピエロ [DVD]

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