「おくどさん」

塩壷の匙 (新潮文庫)

塩壷の匙 (新潮文庫)


この頃、孫娘が大きくなって時折気紛れに台所仕事を手伝って呉れるようになった。しかしどうにも気が気でないことが一つあった。孫は平気でおくどさんの上に庖丁を置くのである。それは何の気なしに置くのであるが、小さい頃からおくどさんの上に刃物を置くと、是非(ぜっぺ)その家(ええ)に悪いことが起こると聞かされて来たおかみはんには、やっぱし気が気でなかった。刃物がかちゃんッとタイルに当たる音がすると、きッと心臓が刺される思いがした。しかし小言を言うと、お婆ァちゃんは古い古い、と言って小馬鹿にされることが分かっていたので、おかみはんは黙っていた。(車谷長吉「なんまんだあ絵」in 『鹽壺の匙』、p.9)
おくどさん」とは京都の言い方で竈のことだったのね。ただ、車谷は兵庫県生まれで、この小説の舞台も播磨だが、広く関西で使われているということか。
ところで、車谷長吉の小説は私小説と言われている。それは何故かといえば、著者がそのように言い、批評家や出版社もそのように言っているからだろう。しかし、『鹽壺の匙』という短編集、農村を舞台にしたかなりアレな話ということで、マジック・リアリズムの小説として、ガルシア・マルケス莫言の小説と同じように読むことができるんじゃないかと思ったのだ。もし車谷長吉のバイオグラフィも文壇での評判も出版社の宣伝文句も知らないで、いきなり読めば、誰だって端的に農村を舞台にしたかなりアレな話として読むはずだ。ケータイ小説が一種の私小説として受容されているらしいが*1私小説を非私小説として読むということを考えてみた。