車谷長吉『鹽壺の匙』

塩壷の匙 (新潮文庫)

塩壷の匙 (新潮文庫)

車谷長吉の短編集『鹽壺の匙』を最近読了。


なんまんだあ絵
白桃
愚か者
(死卵
抜髪
桃の木の話
トランジスターのお婆ァ
母の髪を吸うた松の木の物語)
萬蔵の場合
吃りの父が歌った軍歌
鹽壺の匙


あとがき


私小説は悪に耐えるか(吉本隆明

作者は「あとがき」で、

詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私小説を鬻ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけてきた。併しにも拘わらず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。(p.292)
と悲壮なことを書いている。勿論、作者の自らの「心にあるむごさ」を直視する勇気には敬意を払わなければならないが、読者がそうしたことを気にする必要はないように思う。「私小説」として読む必要もない。寧ろ(前にも書いたように*1マジック・リアリズムの小説として読んだ。収録されているどの短編も、悲惨ではあるが、小説(お話)として面白いのだ。
この短編集でメインになるのは、後半部に収められている「萬蔵の場合」、「吃りの父が歌った軍歌」、「鹽壺の匙」の3篇ということになろう。「萬蔵の場合」は「私」が「瓔子」という困った子ちゃんに散々振り回される話。「吃りの父が歌った軍歌」では「私」とその弟の関係が描かれ、「鹽壺の匙」では高利貸をしていた「私」の母方の家系、特に「私」の母の弟である「宏之叔父」が描かれる。
「吃りの父が歌った軍歌」と「宏之叔父」を読んでいて、私の勝手な連想にすぎないのだが、何故か大江健三郎を思い出した。前者では「私」の家系について、

天明大飢饉のさ中に、播州市川の河口にほど近い開墾地に、どこからか四人の子を連れた乞食同然の流人がやって来て、不毛の磧新田の開墾を始めた。流人はそれより更に八十年程前に起こった元禄赤穂事件(後の世に「忠臣蔵」という芝居に仕立てられた事件)の「逃げ組」の裔だった。それが「御先祖様」である。(pp.153-154)
と言及されている。ここから、大江健三郎だったら、例えば『同時代ゲーム』のような話を書いてしまうのではないか。また、「鹽壺の匙」において縊死する「宏之叔父」は『万延元年のフットボール』を思い起こさせる。
同時代ゲーム (新潮文庫)

同時代ゲーム (新潮文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

とにかく、これらの短編に描かれた「私」及び「私」の周辺の悲惨は、作者の〈個人的体験〉を超えて、悲惨や残酷そのものの例示として、リアリティを獲得している。そのことにおいて、作者の自己救済の試みは充分に達成されているのではないかと思った。