ポニョポニョ

承前*1

宮崎駿崖の上のポニョ*2を暫く前に観た。
感想はといえば、まあ面白かったということになるだろう。リサ(山口智子)もいい女だったし。
宮崎駿監督は


海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。
 同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。
 アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
http://www.ghibli.jp/ponyo/press/story/
と述べている。「約束」が鍵言葉になるのか。また、「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである」とも。font-daさんはこの映画を「結婚ファンタジー」、「父親が抱きがちな「娘が嫁にいく」というファンタジー」であるという*3。そういう側面は今気づいた。
私の読みでは、この映画は2つの物語が絡み合っている。ひとつは勿論、ポニョと宗介を中心にした物語であり、もう一つは世界の存亡に関わる物語である。作り手の意図はともあれ、後者は前者からの創発特性(emergent property)であるといえよう。また、この映画全体を統御する対立は海/陸地という対立であるといえる。ポニョと宗介を中心とする物語であるが、これは社会化の物語でもある。それもミメーシスを通じての文化習得*4。さらにいえば、移民が移民先の文化を習得する物語。ただ、ポニョは自らの魚性を捨てて陸地(人間)に完全に同化しなければならない。勿論、これは世界を滅亡から救うためという正当化がなされているのだが、「結婚」というテーマとも関連して、何故同化するのはポニョ(女性)なのかという疑問も湧く。宗介が魚になって海へ移住するというストーリーも可能な筈だ。例えば、同じように「人魚姫」をモティーフにしたロン・ハワード監督の『スプラッシュ』*5と比べてみると、


米国(紐育)/日本(地方の港町)
実写/アニメーション
大人/子ども
女の子が男の子を救う/男の子が女の子を救う
男性は女性と暮らすために海へ移住する/女性は男性と暮らすために陸地へ移住する


という対立が得られる。

スプラッシュ [DVD]

スプラッシュ [DVD]

さて、『崖の上のポニョ』の中で(とはいっても、直接は登場しないけれど)、上の『スプラッシュ』/『崖の上のポニョ』の対立が反復されていることに気づく。ポニョの父親のフジモトはグランマンマーレに憧れて、陸地から海へ移住したのだった。フジモト−ポニョの父−娘関係に着目すると、陸地→海→陸地というサイクルが存在していることになる。因みに、海/陸地には、


女は外、男は内/男は外、女は内
ポニョは妹たちに囲まれている/宗介は老女たちに囲まれている


という差異がある。
この映画を統御する対立は海/陸地という対立であると書いた。ポニョが無造作に魔法を使い出したために、海のエネルギーが無制限に解放され、海は膨脹し、陸地は水没していく。世界存亡の危機は海が膨脹して、海/陸地という区別が失効してしまうこととして描かれる。これに関して興味深かったシーンは迫り上がる波の上をポニョが走ってくるシーン。走るという所作は陸地と関係した所作であり、海(波)の上を走るというのは海/陸地という区別の混乱を端的に表現しているなと思った。